原典

満洲開拓民概要(開拓資料 第2輯)

発行・掲載拓務省拓北局
著者・発言者拓務省拓北局
発行日1941-11
取得日2026年10月27日
URLhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1437010
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コマ6満蒙開拓団は何人送られ、何人が帰れなかったか ― 単位・時点・数え方をそろえて数… 脚注26
「拓務省の集團開拓民は昭和十年第四次までに約一千八百名を送出した」
満蒙開拓団は何人送られ、何人が帰れなかったか ― 単位・時点・数え方をそろえて数… 脚注28
「昭和十一年には第五次開拓民として一千名が送出された」
コマ10満蒙開拓団は何人送られ、何人が帰れなかったか ― 単位・時点・数え方をそろえて数… 脚注24
「先遣隊の人數は當該開拓團計畫戶數の約二割に當る。本隊の送出は三箇年計畫で、第一年度に全員の六割」
コマ12満蒙開拓団は何人送られ、何人が帰れなかったか ― 単位・時点・数え方をそろえて数… 脚注20
「合計一九六集團にして、其の入植總戶數二五、九二三」
満蒙開拓団は何人送られ、何人が帰れなかったか ― 単位・時点・数え方をそろえて数… 脚注21
「現在人口總數は七二、一六四人である」
満蒙開拓団は何人送られ、何人が帰れなかったか ― 単位・時点・数え方をそろえて数… 脚注25
「今入植次別團數を見るに第一次より第三次までは各一集團、第四次は二集團、第五次は四集團」
コマ21満蒙開拓団は何人送られ、何人が帰れなかったか ― 単位・時点・数え方をそろえて数… 脚注22
「尙本開拓民現在人口數は九、一五八名である」
満蒙開拓団は何人送られ、何人が帰れなかったか ― 単位・時点・数え方をそろえて数… 脚注23
「本開拓民組合數、入植戶數は左記の通にして、現在人口數は一〇、六九九人である」
コマ25満蒙開拓団は何人送られ、何人が帰れなかったか ― 単位・時点・数え方をそろえて数… 脚注12
「年齡數へ年十六歲より十九歲までの者」
コマ29満蒙開拓団は何人送られ、何人が帰れなかったか ― 単位・時点・数え方をそろえて数… 脚注60
「其の總數約一萬七千名、團數は集團開拓團六十三、集合開拓團八、合計七十一箇團である」
満蒙開拓団は何人送られ、何人が帰れなかったか ― 単位・時点・数え方をそろえて数… 脚注61
「徵兵檢査は現地に於て受け關東軍の部隊に入隊するのである」

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コマ1

特244 623開拓資料第二輯(昭和十六年十一月)滿洲開拓民〓要002496800 0 * 0024968-000特244-623満洲開拓民概要拓務省拓北局拓務省拓北局17. . 4. 1 (版出通昭和16 ADE

コマ2

特244 623滿洲開拓民〓要目次第總說般開拓民說コ一第二節開拓民の募集及訓練第三節開拓地の建設第四節開拓民の保護助成第五節開拓地の〓況第六節大陸歸農開拓民··第七節分村分〓計畫第三滿蒙開拓靑少年義勇軍コ一第二節第三節五七〓三六三九

コマ3

植入民拓開洲滿河安北安江北安省龍.省省省安南省省安省省省錦熱省C省朝省m省鮮北-°。####### e凡交.焼地真岡杉電,例

コマ4

第四第五第六第七第八開拓團並滿蒙開拓靑少年義勇軍指導員開拓民並義勇軍保護厚生施設女子拓殖狀況滿洲建設勤勞奉仕隊民間指導及協力機關四八〓〓五八六- -2第總說ー滿洲開拓の意義及び重要性滿洲國は我が日本人の人柱の上に建てられた國であり、歷史上、政治上、經濟上、國防上我が國とは一體不分であつて兩國は文字通り正に共存共榮、隆替を一にする關係にある。從つて滿洲國の發展は卽ち我が日本の發展にして、滿洲國を育成し、更に發展せしむることは實に我が日本の責務であり、重大使命である。而して此の日滿兩國の關係を實質的に强化し、其の建國精神たる民族協和を實現し、王道樂土を建設するためには我が大和民族が多數彼の地に移住し、殊に其の農土を開發し、滿人其の他の民族と相提携してその中樞たる地位に立つて之を指導啓發することが絕對に必要であり、斯くすることによつて滿洲產業の開發を促進すると共に、其の文化の向上、國防の充實に對しても多大の貢獻をなし、他面又我農山漁村の更生、食糧增產等にも寄與することを得るのである。如上の理由に基づいて我が國は今日國策として大量の開拓民を滿洲に送出し、之を對滿國策の基調として其の遂行に銳意努力しつゝあるが、一方又滿洲國に於ても開拓事業を以て產業五箇年- 1

コマ5

計畫、北邊振興計畫と併行して同國三大事業の一として熱心之が遂行に當りつゝある。されば開拓事業こそは正に日滿を通ずる樞軸的國策といふべきものにして、而も時局の進展は本事業の强化擴充を最も强く要請せられつゝある。殊に大東亞戰爭の展開によつて我が赫々たる戰果は逐日擴大せられ南方の經營も愈々大なる努力を要することとなりたる今日滿洲の開拓は大東亞共榮圈の基底確立、大和民族發展の據點培養のため極めて緊要にして一日も忽せにすべからざるに至つてゐる。ニ沿革- 2滿洲開拓が我が政府に依つて本格的に始められたのは、滿洲建國以後のことであるが、沿革的に言へば我が內地人による滿洲の開拓は旣に大正三年より行はれ、其の實績としては、(一)滿鐵の創案たる除隊兵移民、(二)關東廳計畫の愛川村移民及び(CI)大連農事會社實施の移民等があつたが、其の入植地は何れも滿鐵附屬地及び關東州の限られた地域であり、而も滿洲に於ける政治事情の不利、移住者側に於ける確固たる營農方針の缺除、分散入植の弊、助成の不徹底等のため豫期の成功を見るに至らなかつた。三滿洲開拓民送出計畫の樹立然るに滿洲事變後諸般の情勢が一變し、邦人の滿洲移住は對滿國策の遂行上極めて重要なることが深く認織せらるゝに至り、滿洲開拓民送出計畫の機運が熟したので昭和七年の初頭、拓務省は朝野專門家の協力を得て滿洲移民計畫大綱を起案し、左の條件の下に送出計畫を立てて實行に著手した。一自家勞力を本位として耕作し、且經濟的に成立する自作農を設定すること自家勞力を本位として耕作し、且經濟的に成立する自作農を設定すること經濟的方面、其の他〓育、衞生、治安等の點より考慮し、集團的に入植せしめること身體强健、思想堅實なる者を選び、且入植前內地又は現地に於て特殊の訓練を施すこと農村疲弊の現狀に鑑み相當程度の補助金を政府より支出すること- 3 -一一一四開拓民の試驗時代次いで現地の諸調査、諸準備も濟み、同年十月特別農業開拓民四百九十三名を北滿三江省永豐鎭に入植せしめたるを初めとし、爾後第二次、第三次と連年引續いて集團開拓民を送つた。右開拓民

コマ6 引用あり

の中、第一次、第二次開拓民は所謂武裝移民であるが、第三次以降は普通の集團農業開拓民として入植した。一方又昭和八年より拓務省の開拓民とは別に民間に於て開拓を目的とする團體を組織して入植するものが漸次現はれるに至つた。卽ち天理村、天照園(現在の一棵樹開拓組合)、鏡泊學園等がそれであり、又滿鐵に於ても鐵道自警村を實施するに至つた。拓務省の集團開拓民は昭和十年第四次までに約一千八百名を送出したが、此の所謂試驗時代に於ける先驅開拓民の奮闘努力は、克く困苦缺乏に堪へ、凡ゆる障碍を排して遂に我が大和民族に依る滿洲開拓の可能性を歷然として證明するに至つた。五開拓國策の樹立及實施試驗開拓民の成績優良なるに鑑み、昭和十一年には第五次開拓民として一千名が送出されたが、同年八月、時の廣田內閣は滿洲開拓の重要性を深く認識し、之を重要國策の一項目として採用するに至つた。仍つて拓務省に於ては集團開拓民以外の計畫たる所謂自由移民をも含めて二十箇年百萬戶大量開拓民送出計畫を樹立し、それと同時に滿洲に於ては開拓民の助成機關として現在の滿洲拓植公社の前身たる滿洲拓植株式會社が設立せられ、更に内地に於ては開拓民の募集斡旋機關として滿洲移住協會が創立せられた。百萬戶送出計畫は二十箇年を四期に分ち、昭和十二年度より實施せられたのであるが、其の具體的送出豫定數は次の通りである。第一期(昭和十二年度-同十六年度)十萬戶第二期(昭和十七年度-同廿一年度)二十萬戶第三期(昭和廿二年度-同廿六年度)三十萬戶第四期(昭和廿七年度-同卅一年度)四十萬戶右の如く百萬戶送出計畫中には所謂自由移民をも含むものなるが、該計畫の樹立以來自由移民の計畫も俄に增加して來た。よつて拓務省は此等諸計畫の統制を圖ると共に國策としてこの滿洲開拓事業の完遂を期するため確實なる計畫を有するものに對しては相當額の補助金を交付して指導監督をなすこととなり、其の結果自由移民の進出は益々活況を呈するに至つた。昭和十二年度より實施せ- 5 -六滿蒙開拓靑少年義勇軍制度の創始百萬戶開拓民送出計畫の實施により滿洲開拓事業は愈々軌道に乘り來り、昭和十三年よりは更に多數の靑少年を滿洲に送出するに至つた。是が卽ち滿蒙開拓靑少年義勇軍の制度である。靑少年義

コマ7

勇軍は集團開拓民と併行して爾來每年送出され、現地に於て訓練卽開拓の〓育を受けつゝある。七基本方針の確立以上の如く滿洲開拓民の送出は昭和七年實施以來着々と進展して來たが、滿洲國の急速なる發展と支那事變勃發後の東亞の新事態に卽應するためには從來の開拓方策に根本的再檢討の必要を認めるに至り、日滿兩國は昭和十四年一月以來、開拓國策に關し凡ゆる角度より檢討審議を加へた結果、成案を得るに至り、同年十二月滿洲開拓政策基本要綱を決定公布した。滿洲開拓事業推進の基本方針は本要綱の決定によつて茲に確立を見るに至つたのであるが、本要綱の主なる事項は、先づ滿洲開拓政策が日滿兩國の一體的重要國策にして殊に新大陸政策との關係に於て最も重要なる點を强調し、且日本內地人開拓民を中核とする日滿兩國不可分關係の强化、民族協和の達成、國防力の增强、產業の振興、農村の更生等が其の指標なることを明かにし、次いで開拓民の種別、行政、經濟機構、營農、衞生、〓育、訓練、開拓關係行政機關、助成機關等開拓民の送出、入植、助成、指導等に亘つて重要事項を規制してゐる。右は昭和十五年より漸次實施さるゝに至つたが、本要綱に基づいて、昭和十五年には開拓團法、開拓協同組合法、滿洲開拓靑年義勇隊訓練本部官制其の他が- -制定せられ、本年六月には滿洲拓植公社と滿鮮拓植株式會社との統合が實現し、拓農場法が制定公布せられた。更に十一月には開八滿洲開拓民の分類昭和十四年までは滿洲開拓民は集團開拓民、民間の計畫に成る所謂自由移民及び滿蒙開拓靑少年義勇軍とに分れてゐたが、滿洲開拓政策基本要綱の確定によつて從來の移民なる名稱は總て開拓民と正式に改稱せられ、同時に開拓民は左の四種に分類することとなり、昭和十五年度より實施されるに至つた。開拓農民半農的開拓民(林業·牧畜·漁業等)ハ商·工·鑛業其他の開拓民滿蒙開拓靑少年義勇軍但、滿洲に於ては滿洲開拓靑年義勇隊と稱す) 7- -ハ滿洲に於ては滿洲開拓靑年義勇隊と稱す)九開拓用地の整備及調査

コマ8

開拓民入植開拓民入植用地は滿洲國々有地又は私有地の買收によつて之を整備するものである。用地の整備は從來滿洲拓植公社が之に當つて來たが、昭和十五年以後は滿洲國が之に當ることとな整備豫定のものをつた。入植用地として旣に整備を完了せるものの總面積は一千三百萬陌に上り、目下實行中の土地開發事業の進捗に伴ひ開拓用土地は合すれば優に二千萬陌を越ゆる見込であり、十分整備し得ることになつてゐる。本用地の整備に就ては公有地を先にすると共に、主として未耕地を之に充て、努めて原住民に支障を及ぼさざるやうに考慮されてゐる。尙、開拓民入植地の選定に就ては每年春秋の二季、拓務省、滿洲國開拓總局及び滿洲拓植公社の三者より成る多數の入植適地調査班が現地に派遣せられ、入植豫定地の氣象、土壤、水量、水質、作物狀況、交通、治安、風土病等に至るまで詳細に調査し、愼重に決定することになつてゐる。- 8 -第二一般開拓民第一節概說一般開拓民とは滿豪開拓靑少年義勇軍以外の開拓民卽ち開拓農民·半農的開拓民及び商·工·鑛其他の開拓民を言ふ。一開拓農民開拓民の大多數を占めてをり、營農形態は入植地の狀況によつて水田に重きを置くもの、蔬菜作を主とするもの、或は畜產を專一とするもの等あるが、一般的には家族勞作を基準とし、畑作を主とし、一部水田を採り入れ、之に畜產を加味した有畜混同經營をなす。特殊な形態として都市の近郊の蔬菜作、南滿の葉煙栽培或は高度の酪農經營等がある。二半農的開拓民開拓地生活の安定の基礎を主として農業以外の林業·漁業等の經營に置くものにして、林業開拓民·漁業開拓民が此の部類に屬する。林業開拓民は主として冬期間官行斫伐事業に從事し、春夏の交は里に下つて農耕に從ふ。是等は滿洲國の森林開發のため、積極的に內地人の林業勞働者を入植せしめたものであり、林業の傍農業を營ましめ土地定着を圖るものである。漁業開拓民は半農半漁の經營をなすものである。滿洲の海岸、河川並に湖沼は豐富な漁族を藏し、之が開發利用には經驗ある開拓民の經營に俟つ所大なるものがある。目下の所鏡泊湖畔に入植せるものを嚆矢とし、各河川、海岸への入植計畫が行はれてゐる。三商·工·鑛其他の開拓民商.エ、鑛業關係者の積極的大陸移住を圖るため、商店、鑛山、工場等の勞働者を送出し、又は中小工場の移駐を行はんとするものである。- 9商店、鑛山、工

コマ9

此等開拓民は滿洲國の產業開發に協力し、日本人商、工、鑛業の實力を示現し更に他民族に技術的指導を爲さんとするものである。右の中、中小工場を移駐する所謂工業開拓民の趣旨は、(一)日滿一體の綜合的工業力擴充、(二)滿洲國北邊振興計畫に基づく日本人工業開拓民の進出、(三)內地中小商工業者の職業轉換對策の三點であり、其の業種別は農機具、自動車修理、部分品、工具及ゲージ、齒車等に亘つてゐる。特に昭和十五年度よりは農機具工場に重點を置き改良農具配給の充實にも資することゝなり、開拓事業の進展に大なる貢獻をなすこととなつた。內地中小工業工場の移駐に對しては日本政府より渡航費及び作業施設移轉費、又滿洲國政府より關稅、生活費等に對し補助をなすものであつて、旣に移駐濟のものは、自動車修理、農機具、馬具製造、工作機械工場等約四十工場がある。以上は一般開拓民を經營形態によつて分類したのであるが、開拓農民(半農的開拓民を含む)は移住樣式竝に補助の區分より見るときは、集團開拓民·集合開拓民及び分散開拓民の三形態に區別せられる。集團開拓民集團開拓民は二百戶乃至三百戶を以て一集團を構成する。全滿に入植し、集團力と協同力とを基礎として理想農村を建設するものである。之がため團長及び農事、畜產、警備、日本人商、工、鑛業の實力を示現し更に他民族に技術的- 10 -經理、保健の各指導員が配屬され、團本部、病院、國民學校、靑年學校、協同組合事務所、農產加工場、購買部、信用部、自動車部、倉庫等の公共施設が設けられる。日滿兩國政府よりは之に對し一戶當り一千四百圓乃至千五百圓の補助をなす。二集合開拓民集合開拓民は三十戶乃至百戶を標準として小集團を以て部落を構成する。入植地は集團開拓民程の大面積を要せず、都市の近郊、既設開拓團の近隣、又は交通、產業、運輸の便に近い所を選ぶ場合が多い。公共施設其の他は最寄りの旣存の施設を利用する場合が多いので、政府補助金も右に關する部分が稍々少額であるほか、他は集團開拓民と略々同樣である。指導員は五十戶に付國長一名の外、六箇集合に付一人の割合で保健指導員が配置せられる。三分散開拓民分散開拓民は集團·集合開拓民の如く村又は部落を構成せず、分散的に既設の集團又は集合開拓民の內部若くは周邊に、或は全然別個に小數獨立して入植するもので開拓團員の緣故者が多い。分散開拓民は集合開拓民の場合以上に公共施設、產業施設等は旣存の設備を利用することが多いので、政府補助金は渡航費並に個別補助のみである。尙、昭和十四年までの所謂自由移民は總て此の分散開拓民として扱はれてゐる。11- -

コマ10 引用あり

第二節開拓民の募集及訓練-開拓民の募集一般に開拓民の募集は集團·集合開拓民共各府縣に於て行ふ。各府縣は應募者に付所定の內地訓練を行つた上その成績によつて適格者と認むる者を正式採用する。應募資格は徵兵檢査終了後から凡そ四十五歲までを適當とし、農業者の外開拓地建設に必要なる特技(大工·桶屋·指物屋·ブリキヤ·鍛工·運轉手等)を有する者を相當數募集する。身體强健、志操堅實、意志鞏固な者に限る。先遣隊先づ渡滿し、次に本遂が渡滿す二訓練集團開拓民は先遣隊と本隊とに分ちて募集し、る。先遣隊は渡滿前各府縣の開拓民訓練所又は農民道場などに於て約一箇月間共同生活に對する準備と渡滿後に必要なる精神的鍛鍊を目的とする訓練を行ひ、渡滿後は既設開拓團附設の開拓民訓練所に於て約九箇月間更に心身を鍛錬し、開拓方法などを修得した上、所定の開拓地に入植し、本隊入植に必要なる諸準備を行ふ。其の後本隊は一箇月の內地訓練を受けて渡滿、先遣隊の入植地に向ふのである。集合開拓民は先發隊と本隊とに分れ共に約一箇月間の內地訓練を受けて渡滿入植する。12- -第三節開拓地の建設一入植イ集團開拓民集團開拓民は先遣隊と本隊とに分れて渡滿入植すること曩に述べた通りであるが、先遣隊には更に基幹先遣隊と補充先遣隊とがあり、基幹先遣隊は本隊渡滿前年の六月頃渡滿して約九箇月の現地訓練を受け、翌春所定の地に入植し、次いで入植せる補充先遣隊と共に本隊を迎ふる諸準備を行ひ、準備が完了すれば本隊が渡滿入植することとなる。先遣隊の人數は當該開拓團計畫戶數の約二割に當る。本隊の送出は三箇年計畫で、第一年度に全員の六割、第二年度は二割、第三年度も二割を送ることになつてゐる。本隊入植の第一年は開拓團本部の建設を主として行ひ、從つて營農其の他の生活が開拓團全體の共同經濟として運行され、自給のため一部の農產加工施設を建築する。又學校、診療所等の公共施設も此の年に建設される。個人家屋も三分の一位九月末までに完成して家族を招致する。開拓團の構成は地形や周圍の狀況によつて異るが、曩に述べた通り大體二百戶乃至三百戶を以て一村を成し、更に之を五十戶內外の部落に分ち、開拓團本部を中心として其の周圍に部落單位に入植せしめる。入植第二年目には部落單位の經濟に移行する。個人家屋-

コマ11

も全部竣工し、農產加工場の增設種畜場の建設等が行はれる。開墾、土地改良建築其の他の勞働も部落單位の共同勞作で行はれる。入植第三年目に土地を移住者各戶に分讓し、同時に個人經濟に移り、各自獨立する。併し滿洲の農業は多數の役畜を使用し、短期間に農耕を行はなければならない關係上、經濟は各個人の獨立になつても農耕其の他の作業は數戶の共同組織を採ることが合理的どされる。入植第四年目以後は各自農耕地を擴大し、各自の農業經營の充實、理想農村の建設に邁進する。므集合開拓民集合開拓民は前述の通り先發隊と本隊とに分れ、兩者共內地に於て約一箇月の訓練を受けた後指導員引率の下に渡滿入植する。集合開拓民は一箇年間に全部入植するものであるから、開拓團の建設は集團開拓民より短日月の間に完成することになつてゐる。-14-二開拓民の組織制度集團開拓民集團開拓民は本隊入植後五箇年間卽ち建設期間中は滿洲國法令「開拓團法」による法人「開拓團」を組織し、團長の中核的指導の下に團員の鞏固な團結力を以て建設事業に從ひ、五箇年經過後、卽ち第六年目より行政的部面は滿洲國街村制に依る「街村一に、又經濟的部面は滿洲國法令の開拓協同組合法による法人「開拓協同組合」に分化する。集合開拓民最短期間に建設を完了し、行政的には近隣の部落を合して街村を構成し、的には「開拓協同組合」に準じた組合を組織し、小協同農村をつくる。經濟第四節開拓民の保護助成開拓團の建設並に經營の確立を期するため日滿兩國政府は團長其の他の指導員(第四開拓團並滿蒙開拓靑少年義勇軍指導員の項詳述)を配置すると共に、尙開拓民に對して次の如き助成を行つてゐる。但し開拓民の補助金は日本國內に要する經費及び個別補助金は日本國政府、又共同補助は日滿兩國政府同額負擔し、滿洲國內に於ける施設及び助成は滿洲國政府が之を負擔することになつてゐる。一集團開拓民補助金は一戶當り約一千四百圓乃至一千五百圓である。其の內容は個別補助、共同補助及び滿洲國內に於ける施設補助とに分れる。三百戶集團と二百戶集團とでは其の補助金額に若干の差違があるが、三百戶集團の場合を例にとれば個別補助は九百八十圓であつて、渡航費の外、開田、家屋其の他營造物、農具、家畜等に必要なる經費の約三分の一に相當する補助であり、共同補助は一戶當り約百八十圓で、診療所、團本部施設、共同產業施設、地區內道路費、電話架設費等に補助せられる。滿洲國內に於ける施設補助は地區外道路費、地區外警備電話架設費其の他が- 15

コマ12 引用あり

ある。此の補助金は入植三箇年に亘つて支出せらるゝものであり(醫療施設補助費の一部は五箇年)、個人への直接交付は行はない。渡航費を除いては全部開拓團に一纒めに交付され、二集合開拓民補助金は一戶當り約一千三百圓であり、大體集團開拓民の場合に準ずる。三分散開拓民に對する補助金は一戶當り六百圓で、其の內容は渡航費二百圓、個人施設補助四百圓である。尙、滿洲國政府は治安、交通、通信、營農等に關し行政上の保護をなしてゐる。營農に必要な資金の融通は滿洲拓植公社が之を行ふ。所要資金は又日滿兩國政府の補助金の外、最近の一戶當り融通額は左の通り開墾費、住居費其の他固定資金及び融通資金であつて、土地代、である。ー16 -種別固定資資金三、阿·皮円三、六一六二、三八三三、二人流通資資金円ニ、二九二ニ、四二二三、二四九四、四六〇計円五、七六六六、〇三八六、六三二七、五七八三〇〇戶の場合二〇〇戶の場合集團集分合散融通金の貸付利率は年四分五厘にして償還方法は固定資金は五箇年据置、還又流通資金は五箇年据置、十箇年均等年賦償還によつてゐる。二十五箇年均等年賦償第五節開拓地の〓況集團開拓民-入植數昭和七年十月初めて第一次開拓團を北滿三江省の地に入植せしめてより本年は十年目に當り、旣に第十次の開拓團が入植し、第十一次開拓團の先遣隊も送出されてゐる。今入植次別團數を見るに第一次より第三次までは各一集團、第四次は二集團、第五次は四集團、第六次は一九集團、第七次は二二集團、第八次は四〇集團、第九次は六二集團、第十次は四四集團(大陸歸農開拓民五集團を含む)合計一九六集團にして、其の入植總戶數二五、九二三、現在人口總數は七二、一六四人である。- 17集團開拓民團數戶數並人口(昭和十六年九月卅日現在)年次團數入植戶數現在人ロ數第ー次-四九三一、三八八

コマ13

拓團より第十次開拓團に至る集團開拓團百九十六集團の地方別分布狀態を示せば左の如くである。集團開拓民地方別分布狀況(昭和十六年三月卅一日現在)間奉濱吉興龍北牡東三省島天林江安東江安丹江安江種別省省省省省省省省省省別牡丹江省·濱江省·北安省·龍江省等には未耕地多く、て漸次全滿に亘り產業交通の重要點に廣範圍に入植せしむるに至つた。薄にして入植の餘地が多かつたため自と入植地として選ばれたのであるが、二入植地集團開拓民の入植地は初めは主として北滿地方であつた。且地味肥沃にして、昭和七年入植せる第一次開北滿の三江省·東安省·、開拓事業の進展に伴つ地價低廉、人口も亦稀計第第第第第第第第第計十九八七六五四三二第一次一| 1 1 | 1一次次次次次次次次次一| | |〓! | |一第二次一1〓| | /第三次一一九六|四四六二四〇二二一·九四二一一第四次二1 | | 1 1 |二|四1 | | 1第五次1 |四1一九第六次1 | | 1 | /四|八七二五、六、六、四、四、一、一、五三五四一〇二四二七七一二五九〇〇〇五〇〇二九八四九四三一1 |四〇第七次|一四|一二九二三四〇一|二六1六六五〓五第八次六二第九次一三| O六五八|四八四四二五二二九七九三三二第十次七二、三、一三、一、、一四、一一、、三、一、九〇〇二五三四二〇八大六九〇八六四五九一八五七七一八九一、總一九六二四一二一三六二五二六九四五四三一六四數- 19- - 18-

コマ14

單位の開拓團となり、第七次よりは開拓民の送出なき府縣は皆無となつた。三次までは全國府縣の四分の一乃至三分の一に過ぎないが、分、二割となり、九次に於ては府縣聯合形態は全く見られず、ては約四割は縣單位、るも、三集團開拓團各個の出身地方別構成を見るに第一次より第四次までの開拓團は總て府縣聯合形態な第第一次乃至第四次入植年次縣單位のものが一割となつた。開拓民出身地方別構成狀態第五次より縣單位の開拓團出現し、五種第十次に至つては此の傾向は更に强く、次別約四割は分村及び分〓の開拓團にして府縣聯合形態は約二割となり、而も其の中には村單位及び〓單位の開拓團も發生するに至つた。府縣聯合集團開拓民の送出を府縣別に見るに、五卽ち左表に見る通りである。三縣單第六次に於ては其の六割、位〓單位のもの六割、一|〓單位のもの六割五分、郷單位第四次以降に於ては殆んど全國に亙り、1村村單位のもの二割、第七次に至つては約七割は縣單位送出府縣は第一次より第1村單位のもの二割五計縣單位のもの四五更に第第八次に於が、醤油若しくは豆油、庫等を設け、め開拓地の事情に應じ諸種の共同產業施設がある。の販賣部、四漸次建設の進むに從ひ、產業施設開拓團の諸施設農具其の他の利用部、或は消費部、開拓團に於ては生產物の加工調製、豆粕製造等の農產加工場等食糧若しくは飼料を補給する程度のものに過ぎない共濟部を設くる等次第に諸種の設備が完備することとなる。窯業工場(主として煉瓦燒)、鍛工場、日用品其の他農業資材の購買部、最初は精米、農具の共同利用等集團經濟の合理化を圖るた蹄鐵工場、精麥、或は金融の便を圖る信用部、製粉等の共同作業所、木工場、卽ち生產物自動車部、或倉味噌四第第第第第計十九八七六別次次次次次府縣聯合五三三〇1 1八七七縣單位一|一一一一一八二三五三六一郷單位1七三二六三七九一村單位1三.一〇三八一計四五一九六四四六二四〇二二一九20 -21-

コマ15

は農事の改良發達指導奬勵に關する事業等、內地の產業組合及び農會に匹敵する協同組合組織も次第に發達してゆくのである。ロ神社並寺院開拓地に於ける神社は開拓民の敬神崇祖、報本反始の念慮によつて各團に建立され、信仰の中心團結の核心をなしてゐる。神社造營は〓ね入植後二年又は三年目に行はれる。旣に第一次開拓團の彌榮神社、第二次開拓團の千振神社、第三次開拓國の瑞穗神社等の先進開拓團の神社を始め三十有餘の神社が創建されてゐる。寺院の建立されたものは第一次開拓團より第八次開拓團まで旣に十七有餘に上り、眞宗本願寺派最も多く、曹洞宗も二箇所に及んでゐる。ハ〓育施設開拓地の學校は一般在滿日本人學校と同樣關東局在滿〓務部の監督下にあり、其の經營は在滿日本人學校組合によつて行はれるを原則とするも、開拓〓入植後若干期間は開拓地の特殊事情に應じ開拓團に委託經營せしめられてゐる。日本人〓師の下に日本人〓育を受けると共に又複合民族國家の中核分子としての〓育をも受ける。開拓地には國民學校の外に又靑年學校が設置されてあり、目下國民學校數二九六、兒童數約二二、〇〇〇、又·青年學校數は六〇、生徒數約三、三〇〇に及んでゐる。國民學校に於ては兒童の通學の便を考慮して寄宿舍を設けてある。尙、中等內地の產業組合及び農會に匹敵する協同組合組織も次ロ眞宗本願寺派22- -ハ學校としては本年四月より牡丹江市に牡丹江農林學校、れ、開拓地の子弟の〓育に當つてゐる。衞生施設開拓地にはさしたる風土病はない。滿洲の風土病は滿人の衞生思想の缺如より生ずるものである、滿洲國建國以來政府は衞生思想普及に努力し、又種々の衞生施設を全滿に亙つて設置するに至り、風土病も次第に減少しつゝある。開拓地に對する衞生方面の調査設備は特に考慮せられ、水質其の他の點に就ては滿鐵衞生〓究所、奉天醫科大學等に於てそれ〓〓專門的に調査〓究せられてゐる。開拓團の醫療施設としては、集團開拓團は各團每に保健指導員たる醫師が配屬せられて居る。病院は入植第一年目より建設され、藥局、手術室、病室等それ〓〓整備される。滿洲國政府の補助を得て福民病院を兼ねて滿人の診療も行つてゐる。尙產婆は各開拓團に數名宛免許狀所有者(主として團員の妻)が居り、助產に當つてゐる。開拓地の出產率は內地の約四倍で、人口千人に付二十人の盛況を呈してゐる。五營農〓況1營農方針開拓民に分讓の耕地面積の標準は一戶當り〓ね十町步であり、其の外開拓國の共有地として放牧採草地、薪炭備林用に適宜所要の面積が附加せられることになつてゐる。一開拓團又三江省千振街に千振開拓農學校が開設さ- 23

コマ16

個人分割の面積は土地の立地的條件、農業組織の形態等にの總面積は六千町乃至七千町步となる。より十町步一率にするものにあらず、多少の增減がある。滿洲開拓民の農業經營に對する方針は次の如くである。開拓民定着の目的を達せんが爲には先づ名實共に自作農として 終始せしめね(4)自作農主義卽ち滿洲開拓政策基本要綱にも「農業經營に關しては家族的勤勞主義竝に部落的協同勤ばならぬ。特に集團開拓民に付てその形態に付ては自作農を主眼とし共同經營を加味し、勞主義を目途とし、は機械營農併用の共同經營又は必要なる鮮滿人との合作等に關し考究する」こととされてゐる。地力の維合理的なる輪作に加ふるに適宜家畜部分を織込み勞力配給の合理化、(ロ)有畜農業持、副產物の利用、加工部門の擴充に努める。現地の經濟條件に適應し可及的に食糧作物竝に飼料作物を自作し 經營(C)食糧竝飼料の自給竝に生活上の重要資料の自給に努める。滿洲開拓民の國策性に鑑み自家用を除く生產物は國防資源として食(c)國防資源物資の供給糧(米及麥)、馬糧(燕麥及野乾草)其の他原料(羊毛、羊肉、牛乳、牛肉、牛皮)を補給し得るやう國防國家の產業計畫に副はしめることが要請される。- 24 - 2經營面積と勞力開拓民一戶當りの耕地面積は家族勞力の狀況、經營手段の整備如何によつて增減はあるが從來の實績に徴するに農業所要勞力は一町當り水田一〇〇人、普通畑作三〇人乃至五〇人、蔬菜作二〇〇人內外である。從つて集團開拓民の場合を例にとつて見るに先遣隊入植年次より個人經營に至る期間の作付反別は諸種の建設勞力と關聯して〓ね次の如き經過を辿つてゐる。卽ち先遣隊時代約九反、本隊入植第一年目一町一一反、第二年目二町七反、第三年目五町、第四年目七町五反、第五年目十町步となつてゐる。十町步を完全に耕作するためには家族勞力を十分に發揮し馬二頭と改良農具を用ひ改良新農法に依らなければならない。從來の開拓地農法が已むなく原始的な在來農法に依據してゐた弊を改め眞に日本人開拓民に卽した營農形態を創造するの緊要なるを認め昭和十四·十五兩年度に亙り北海道より約百三十戶の指導農家及び實驗農家を送出し、開拓實驗農場を北滿各地の代表的開拓地に設定して大陸新農法の創設に當らしめ着々その效果を收めつゝある。3農耕開拓團設置當初に於ては其の勞力の少からざる部分を團建設事業に用ふるを以て本格的に農耕に從事し得るのは團設置後〓ね四年目になる。開拓地に於て栽培せられる普通作物は主として小麥、大麥、大豆、玉蜀黍、粟等である。小麥は- 25大麥、大豆、玉蜀黍、粟等である。小麥は

コマ17

昭和十五年定改良、栽培法の進歩と相俟つて開拓地は漸く重要產米地域となりつゝある。陸稻は餘程高溫日照時の多い夏でないと北滿の栽培は危險である。高梁は南滿の主要作物であり、北滿高緯度では生育ず、麥類の中耕除草は一·二囘で足りるので最も勞力を要する除草期の勞力を緩和する事となる。適する。この麥類の開拓地に適することは農耕勞力の需給關係を非常に緩和する好結果を齎す事と水稻作適地と見做され、開田工事、用水工事の遂行により其の水田面積は逐年增加し、早生品種の選なる。卽ち大豆、粟。玉蜀黍等の普通作物は五月上旬にならなければ栽培出來ないが、麥類は少く食物として適してゐる故將來益々栽培面積は增加するであらう。其の他燕麥、ライ麥もその栽培にを馬糧として用ひ、食用とする事を知らなかつた。日本人開拓民にとつては粟や玉蜀黍より大麥がも一週間乃至十日間早く、四月二十日頃より播種出來るが故に播種期の勞力緩和に役立つのみなら種改良に努め優良品種も段々育成せられ居る故有望なる作物である。傾向があり、一般滿人間に於ては栽培面積餘り增加しなかつたが北滿克山農事試驗場に於て銳意品水稻は水利の便ある平原部では、北緯五十度の璦琿、黑河迄も栽培可能である。開拓地は一般にその品質グルーテンの含量多く加奈陀麥に匹敵し麵麭製造に適してゐるが、從來豐凶の差が甚しい大麥は小麥以上に栽培容易であり其の反當收量も平均一石三斗餘に及ぶが、從來滿人農家は大麥入植年次種別水稻大豆小付面穫收當穫付面穫收當穫付面穫收當穫付面穫收當穫付面穫收當穫付面穫收當穫付面穫收當穫付面穫收當穫付面穫收當穫作收反作收反作收反作收反作收反作收反作收反作收反作收反雅典風發賣筋積高高積高高積高高積高高積高高積高高積高高210.1町5,579石2.655石325.6町9,768石3.000石378.5町8,831石2.333石334.0町4,634石1.387石1,125.7町22,037石1.957石2,336.1町38,764石1.659 4,128.8町84,456石2.0456 3,303.9町57,101石1.728石920.5町12,945石1.406石991.7 16,134 1.626 1,585.7 14,272 0.900 605.1 6,728 1.111 1,085.8 14,445 1.330 2,044.9 20,586 1.006 4,496.5 41,665 0.926 2,318.7 19,233 0.829 3,583.9 33,312 0.929 542.0 5,569 1.027第次一第次二1次第三第四次第次五第次六第次七第次八第九次作收反付面穫收積高高13,063.2町244,115石1.868石17,254.3 171,944 0.974合計當穫·耕第一次11.98町第二次12.46町第一戶當作反別- 26

コマ18

昭和十五年度集團開拓團年次別耕作反別收穫高調(滿洲拓植公社調査)入 植年次種別水稻大豆小麥大麥燕麥高梁粟玉蜀黍馬鈴薯麻類蔬菜煙草其の他合計時の多い夏でないと北滿の栽培は危險である。高梁は南滿の主要作物であり、北滿高緯度では生育~ 76.3 76,920作收反作收反作收反作收反作收反作收反作收反作收反作收反付面穫收當穫付面穫收當穫付面穫收當穫付面穫收當穫付面穫收當穫付面穫收當穫付面穫收當穫付面穫收當穫付面穫收當穫991.7 16,134 1.626 1,585.7 14,272 0.900 605.1 6,728 1.111 1,085.8 14,445 1.330 2,044.9 20,586 1.006 4,496.5 41,665 0.926 2,318.7 19,233 0.829 3,583.9 33,312 0.929 542.0 5,569 1.027積高高積高高積高高積高高積高高積高高積高高積高高積高高210.1町5,579石2.655石325.6町9,768石3.000石378.5町8,831石2.338石334.0町4,634石1.387石1,125.7町22,037石1.957石2,336.1町38,764石1.659 4,128.8町84,456石2.0456 3,303.9町57,101石1.728石920.5町12,945石1.406石239.4 1,589 0.663 823.3 6,629 0.800 433.7 2,628 0.606 36.5 412 1.129 63.8 957 1.500 51.4 1,399 2.656 72.9 1,128 1.547 135.6 3,392 2.501 47.4 664 1.401 276.0 7,104 2.574 436.9 9,619 2.201 1,164.0 17,432 1.497 687.5 8,949 1.301 1,232.1 14,113 1.145 180.3 2,678 1.485 205.6 2,340 1.138 741.6 8,900 1.200 65.6 918 1.399 479.4 4,067 0.848 595.1 8,926 1.500 92.7 1,294 1.407 208.5 3,009 1.443 461.3 4,827 1.046 1,363.4 10,983 0.806 930.8 7,786 0.836 1,391.9 11,162 0.802 229.0 1,947 0.850 483.6 5,097 1.054 485.9 3,789 0.780 57.4 721 - 32.0 5,100 154.5 307,340 - 22.3 6,050 464.2 3,468.5第ー次·38.5 3,080 - 30.7 2,590 2

コマ19

餘り良好でないが高粱の代りに麥類が適する故日本人には却つて好都合であると言へる。大豆は北滿農民の最も重要視する作物で世界產額の六割約四千萬石を生產する。大豆の如き荳科作物を輪作內に加へる事は滿洲粗放農業の地力維持上極めて有利な役割を演ずるものである。其の他特用作物として大麻、靑麻、甜菜等が有望であり、葉煙草も亦良く出來る。尙蘇子、洋麻等も將來有望である。蔬菜は如何なる種類も良く出來る。トマト、胡瓜、茄子、南瓜、白菜、甘藍、大根、馬鈴薯、牛蒡に至る迄見事な出來榮である。4畜產寒地滿洲に於ける合理的營農並に生活上畜產の重要なるは論を俟たざる所である。第一次集團開拓團入植以來各開拓團にあつても地力の維持增進、勞力配分の合理化、國員家族の榮養保持竝に農家經營收益の增加等の見地より、家畜の飼養に意を用ひ、その改良增殖竝に默疫の豫防に對しても多大の努力が拂はれて來たが、近時日滿兩國畜產資源の增加計畫樹立實施竝に開拓國農耕の進捗に伴ひ畜產は一層急速なる進展を見るに至つた。現在飼育家畜の主たるものは馬、牛、緬羊、豚、鶏、家兎、蜜蜂等である。馬は移殖日本馬、在來馬あり、役畜として使用され耕地十町步に對し馬二頭を適當とする。牛は乳牛、役牛、肉牛であり、豚は在來種牝豚にバークシヤー種を交配蕃殖せしめて逐次賣却する。緬羊は羊毛國策の見地よりするも頗る重要であり、將來大々的增尙蘇子、る。トマト、茄子、南瓜、白菜、馬鈴薯、4第- 27豚、鶏、家兎、役牛、

コマ20

戶當五陌以内の農村備林を設定し、開拓森林資源の恒久的確保を期する事となつた。林計畫を樹立し、之が造成に努め、依り開拓團の經濟に有利なる彈力性を與へるものである。炭備林、備ふる薪炭材の補給、ては開拓團及び滿拓公社に於て昭和十四年春以來北滿要所十箇所に中央苗圃を開設し、きものがある。開拓地に於ける造林の必要性は種々の觀點より夙に唱へられて來たが、開拓團の森林伐採は建設當初に於ける建築用材の自給を期すると共に、5林產防風林並に宅地林の造成は緊急不可缺のものである故、開拓地に於ける森林の伐採、春冬季の季節的西北强風に對する農耕地、又滿洲國林野局は國務院訓令に基づき開拓地に備林牧野併せて一造林事業、林產加工は次第に盛んとなり其の成績見るべ各開拓團何れも入植早々に造林備牧草地並に宅地保護の見地より薪北滿の長期に亙る酷寒に冬期間餘剩勞力の利用に銳意所要苗植栽苗木に就羊は三〇頭となる迄保有飼育上、デール」種を交配蕃殖せしめて羊毛の改良に資し、產を圖る必要あるが、ては、尙、入植別次主要家畜家禽頭數は次の如くである。東安省龍爪に種羊牧場を設置して增產改良を圖りつゝある。第第第第第第第七六五四三二一種集團開拓民家畜·家禽頭羽數次次次次次次次別五、三四七七、一三六二、九三六一、七七五一、五一二九三八大家畜開拓團では在來種各戶當五頭乃至十頭を購入し之に「メリノー」又は「コリ五二三緬以後餘りは賣却する方針である。二、四五八一、七四九二分八九,一80天んじ九二六羊豚二、二四二一、三、六六〇一、三、一〇二主として共同飼育を行ひ、四〇〇大山(01.七二七山三日10元二三三〇一羊三1家緬羊改良の爲東亞緬羊協會に於九九一式大三人〓00五〓三兎家二、七七七一〇、三三一九、九〇八四、八二〇一、四〇三三、八五〇六九一五、禽仔羊牡を賣却し、蜜二五七一八 山合)四學天人蜂牝第第合九八計次次次次次次次次次二五、七三八1·618三、八五九五、三四七七、一三六二、九三六一、七七五一、五一二九三八五二三大家畜緬八、三八三三心스二、四五八一、七四九二分八九,一80天んじ九二六造林事業、羊-一五、一一一一、四八七五九人豚二、二四二一、三、六六〇一、三、一〇二四〇〇大山(01.七二七林產加工は次第に盛んとなり其の成績見るべ山一、〇三九七〇一八八三日10元二三三〇一三1羊家一、九三七二元丸八冬期間餘剩勞力の利用に九九一式大三人〓00五〓三兎家三九、八五四一九元かい五二、七七七一〇、三三一九、九〇八四、八二〇一、四〇三三、八五〇六九一五、禽蜜一、七五〇三五一八二五七一八 山合)四學天人蜂- 29 - 28-

コマ21 引用あり

木生產に當りつゝある。主なる造林樹種はカラマツ、ドロノキ、こゝ、イタチハギ等である。開拓地に於ける林產加工の主なるものは、製材、製炭、木工であつて、飽くまで自國の建築用材の自給自足、薪炭用材の自給自足を圖つてゐる。二集合並分散開拓民一集合開拓民本開拓民は昭和十五年度より實施せるものにして、同年度に於て第一次、昭和十六年度に於て第二次の開拓民を送出してゐる。その地方別入植狀況は集團開拓民に比も全滿に分布し、〓して交通の便利な治安良好の地區が多い。尙本開拓民現在人口數は九、一五八名である。集合開拓民團數、計畫戶數- 30 -年度次別團數計畫戶數昭昭和和十十五六年年第第一二次次六〇三八ニ、〇〇〇一、九〇〇計九八四、九〇〇集合開拓民地方別入植狀況黑河牡丹江間島吉林奉天三江錦州濱江安東東安通化興安東龍江北安新京市省別計團數三一七二三四一〇五四二六ーー六一四九八二分散開拓民分散開拓民も昭和十五年度より實施されたものであるが、既往の所謂自由移民は曩に述べたるが如く政府補助の關係より一括して分散開拓民として取扱つてゐる。本開拓民は昭和八年興安南省通遼縣に入植せる一棵樹開拓組合を始めとして、爾來昭和十一年までに林業開拓民並に鐵道自警村を含めて二十二箇團の入植を見たが、昭和十二年百萬戶大量開拓民計畫の實施以來漸次其の計畫が增加するに至つた。分散開拓民中の大部分を占むるものは農耕開拓民であり、特殊なものとしては滿洲國林野局の取扱ひに係る林業開拓民、滿洲國興農部の指導に係る煙草開拓民、滿鐵鐵道總局の取扱に係る鐵道自警村、滿洲炭鑛株式會社及び大都市の會社其の他の從業員たる徒弟開拓民等がある。尙、北海道より模範農家として招致せる實驗農家及び旣設集團開拓團の所謂緣故開拓民も亦分散開拓民として入植してゐる。本開拓民組合數、入植戶數は左記の通にして、現在人口數は一〇、六九九人である。- 31ー

コマ22

十五年度に於ける集合並に分散開拓民農作物作付面積、は全體として未だ進捗せざるも、天理〓の布〓所は天理村に四箇所ある。もの四五校にして兒童數一、人、きものはなるべく附近に於ける旣設のものを利用する建前上多くは獨立の施設を經營するに至らざ四るも、三〓員數二四人に達してゐる。集合並分散開拓民農耕狀況其の中病院を備ふるものには、分散開拓民公共施設分散開拓民は〓して少數の集團を成せるを以て國民學校又は病院の如八八六人、分散開拓民は集團開拓民に次いで著しく進捗してゐる。神社の創建せられたるもの二〇にして寺院の布〓所は六箇所、集合開拓民は入植日淺きため農作物作付面積も極めて少く農耕天理村、〓員數一〇七人、三〓口、收穫高を示す。仙洞等があり、又靑年學校は五校にして生徒數一五〇國民學校の開設せられたる左に昭和又省緣實徒煙林農組合數備考種反收作種種故弟草業業驗一開開開開開農拓拓拓拓拓別右の外滿鐵關係鐵道自警村開拓民二三組合、計吉林分散開拓民地方別入植狀況(昭和十六年十月末)濱江江牡丹三江東安七九北興安南興安北安奉天一、四四六人あり。ニ、安東九五六錦州當付穫收面吉林分散開拓民組合數·入植戶數(昭和十六年十月末)別組合數入植戶數二別別量高積別一七濱江民家民民民民玉水蜀二四四、一一五一三、〇六三·二一·五〇一黍稻石石町一二七大馬三、鈴薯〇·七五四二六、五八六五二二·八麥馬九一八四四六五六1三麻小一類〇·五九四八、六二四四五一·六麥九一、四七八포二〇二四五一三二四八四七七蔬大五〇·六八九二、四六三菜三人八豆三煙燕錦州二各地に散在備〇·九六六七、三八五草大阪間麥間島四其高龍江七一·二八五二〇、二四六一、五七四·七他市新京粱二合考-〇一計一二、九一三一、三〇八·九粟計〇·九八六-32- - 33 -

コマ23

町一、三〇三一三、三九九一·〇二八作收反付面穫當收積高量三四三·三質一、三五七、七〇〇貫三九五·四一一九·六三二、〇三三三·〇〇一、一七七·六四、〇八五、三九〇三四六·九二〇七·五四八、八〇五三十三一、八六七·一一八、二一〇·一(作)鐵道自警村報告未着に付省略本表は滿洲拓植公社の調査に依る第六節大陸歸農開拓民ー34 -支那事變以來、時局の進展につれて幾多の變化を受けた我が經濟界は昭和十五年日獨伊樞軸の結成に伴ふ外交轉換によつて更に國內產業の再編成要請となり、多數の中小商工業轉失業者が簇生するに至つた。よつて政府は同年十月、中·小商工業者轉廢業對策として六項目の具體的措置を決定するに至つたが、その第三項目に於て要轉業者を滿洲開拓民として送出する方途を定められ、それに基いて送出するのが卽ち此の大陸歸農開拓民である。拓務省に於ては昭和十五年秋より本大陸歸農開拓民の送出を實施したが、之は主として旣設集團開拓團への補充又は追加入植といふ形態を以て行はれ、第八次集團開拓團以前の開拓〓中に約一千一百戶を入植せしめ、昭和十六年度に於ては前年度の形態のものの外新たに轉業者のみの特設開拓團を組織することとなり、目下着々計畫を進めつゝある。卽ち山梨縣鹽山町·加納町·勝沼町·目下部及び附近の商工業者を以て編成せる開拓團、大阪に於ける法華宗信者による佛立講開拓團、大阪府下一圓の商工業者、神戶市の商業者、長野縣小縣町商業者を以て組織された開拓團が是であつて、其の先遣隊二百餘名は既に渡滿し、引續き本隊を送出中である。第七節第七節分村分〓計畫滿洲開拓農民の大量送出を容易ならしむる目的の下に計畫的、組織的に團體移住の促進を圖り、併せて農村の恒久的更生計畫の實施を促進する爲分村分〓計畫が全國各府縣に盛んに樹立されつゝある。我が國現在農家戶數五百五十餘萬戶、一戶當耕作面積一町八畝に過ぎず。農林省の調査に、よれば普通農村組織に於て經濟上成立し得べき所謂適正農家は平均一戶當一町七反を要すと云ふ。然らば現在の農家戶數約二百萬戶は餘剩になる譯である。分村計畫は結局この餘剩戶數を滿洲に送出せんとするものである。從て分村計畫は移住計畫及び開拓民送出後の農村計畫を樹立するものとし、其の實施に當りては農業生產に於ける全面的改良刷新の方策を講じて生產を確保すると共に農家の生活安定並に向上を期することを目標とする。- 35 -

コマ24

分村計畫樹立上の注意事項を列記すれば〓ね左の通りである。分村戶數は適正經營農家を標準として町村の特殊事情を考慮して定むべきも一村より尠くもー三十戶程度以上を送出せしむる樣指導すること分村計畫に依り移住する者は成るべく町村内の各階級の適格者を網羅する樣考慮すると共に二分村計畫に依る開拓團の指導者は成るべく其の地方出身者中より選定するものとす(假稱)等の活動三開拓民の負債整理に就ては其の移住計畫を促進する爲町村負債整理委員會を促進し負債整理計畫の樹立を指導せしむると共に負債の條件緩和及び有利なる財產處分の斡旋、低利資金融通幹旋等に當らしむるものとす四開拓民の未招致家族の扶養に關しては町村及び開拓民後援國體をして隣保共助の精神に基づ勤勞奉仕等に就て有效適切なる措置を講ずると共に扶養費の貸付又は給與に對しき適當なる授產、ても考慮する五開拓民の土地、建物、家畜其の他の財產は成るべく自由處分を避け、町村の更生計畫に基づき町村、產業組合、農會、農事實行組合等に於て買收、管理又は處分を爲すものとす農家戶數を增加せしめざるやう努むると共に土地の配分及び利用の六開拓民送出後の町村はー36 -適正、土地細分の防止、勞力、畜力、器具機械の合理的利用、技術の改良、協同組織の强化等に依り農業經營の合理化を圖るものとす七分村計畫に關聯して町村合併整理に關しても考究するものとす分村計畫樹立町村が數箇町村聯合して送出計畫を樹立せるものを分〓計畫と云ふ。從つて分〓計畫は二·三箇町村から廣きは一市一郡に及ぶ。分村計畫の濫觴をなしたのは宮城縣遠田郡南〓村で昭和十一年度より着手した。爾來第七次集團開拓團に長野縣大日向村、山形縣庄內〓(分〓による)の二村、第八次集團開拓團に於ては長野縣富士見村、川路村、泰早村、上久堅村、千代村、讀書村、蓼科〓、埼玉縣中川村、香川縣栗熊村、石川縣鹿西〓、町野〓、白山〓、新潟縣荒川〓、山形縣庄內〓、東村山〓、秋田縣男鹿〓等を數ふるに至つた。第九次集團開拓團に於ては各縣に亙り、十二分村、三十七分郷となり、第十次に於ては十分村二十六分〓となるに至つた。曩に述べた如く昭和十五年度より集合開拓民の制度を實施するに至つたが、集合開拓團は集團開拓團よりは少い戶數を以て編成され、小戶數の分村分〓に適するため、此の集合開拓團を目標とする分村分〓計畫が漸次增加するに至り、第一次、第二次の集合開拓民は器具機械の合理的利用、技術の改良、協同組織の强化等に依從つて分〓計- 37

コマ25 引用あり

殆んど全部が分村分〓による開拓民である。分村計畫に關しては農林省も之を助成することとなり、昭和十三年度に於ては全國に亘り二七二箇町村を分村計畫樹立指定村に選定し、同十四年度に於ては二九四箇町村、更に同十五年度には二三九箇町村を增加して之が指導誘抜に當つてゐる。第三滿蒙開拓靑少年義勇軍ー目的滿洲開拓事業は曩に述べたる如く昭和十二年度より重要國策として採り上げられ着々として進捗して來たが、支那事變の發展、國際情勢の變轉は日滿兩國の一體化を愈々緊要とするに至り、それがためには開拓民を大量且急速に送出することが焦眉の問題となつた。然るに壯年者を中心とする開拓民のみでは此の要求に合致しない。そこで之が對策として內地の有爲なる靑少年を大量滿洲に送り、國策の第一線に定着させる計畫が立てられ昭和十三年から實施されるに至つた。是れが滿蒙開拓靑少年義勇軍の制度である。卽ち靑少年は家庭の系累が少く、短期間に大量の募集が可能であるばかりでなく、其の思想も亦純眞なるため大陸開拓の道義的使命を會得せしめることが容易であ38- -る。よつて之を滿洲の曠野に開放し、此處を心身鍛錬の道場として訓練卽開拓の〓育を施し、やがて開拓の中堅として農土の發展に當らしむれば其の成功は期して俟つべきものがある。されば義勇軍に關する經費は日滿兩國の全額負擔を建前とし、日滿兩國は、その育成に就ては最善の方途を講じ之が目的達成に努力しつゝある。二二義勇軍の募集·義勇軍は北海道を除いた內地各府縣から募集される。られ、銓衡の土採用する。(三)(二)(一)年齡數へ年十六歲より十九歲までの者經歷尋常小學校卒業以上の學歷を有する者、職歷を問はず健康狀態身體强健、滿洲に於て共同生活並に農耕に從事し得る者、從つて醫師診斷の結果呼吸器又は心臟等の弱くない者、脚氣、神經系の疾患、痔瘻、重症トラホーム其の他惡性の傳染性疾患なき者(四)其の他父兄の承諾あることを絕對條件とし、應募者は左記に該當する內地人靑少年に限- 39 - (四)本人自身も我が大和民族の先驅として、大陸經

コマ26

營の第一線に進んで立つだけの鞏固な意志と滿洲に骨を埋める決心を有する者たることを要する義勇軍の募集手續は一般開拓民と同じく各府縣に於て縣廳が之を行つてゐる。各府縣に於ては拓務省よりの割當に應じて十六歲から十九歲までの靑少年層から廣く募集採用する。然るに義勇軍運動の進展に伴つて之に對する全國一般の社會的關心が漸次に高まり、應募者の素質が向上し、年齡も低下するに至つたが、十五年度よりはその募集方法に刷新を加へ、從來の如く各府縣の混合中隊編成によらず、府縣單位、郡單位の中隊、小隊の編成方法により、而も國民學校高等科卒業生を主として採用し、且、中隊長其の他指導員等の幹部には其の〓土出身者を配する等、所謂〓土部隊の編成を目標として邁進せる結果、昭和十六年度に於ては、應募者數大いに增加し、中隊編成の出來なかつた府縣は僅々數縣に過ぎざるに至つた。尙、昭和十六年までの義勇軍採用者總數は五六、八二六人である。之を年度別に揭げれば左の如くである。- 40 -昭和十三年度昭和十四年度昭和十五年度昭和十六年度總計二四、三六五九、五〇八九、六一六IIII、三三五五六、八二六三訓練と組織一訓練方針靑少年義勇軍は眞の建國開拓民を育成するため心身の鍛鍊陶冶を第一義とし現地の雄大なる自然を背景として現地の實情に卽する訓練を行ふを本旨とし、其の訓練は豫備的の內地訓練と本格的の現地訓練との二つに分れる。二內地訓練義勇軍の採用者は先づ內地訓練のため茨城縣東茨城郡下中妻村內原の滿蒙開拓靑少年義勇軍訓練所に入所する。同訓練所は財團法人滿洲移住協會が拓務省の代行機關として經營に當つてゐる。內原訓練所に於ける內地訓練は期間約三箇月にして、皇國精神の徹底及び協同精神の涵養を目標とし、現地訓練所入所に必要なる諸準備をなすのである。同訓練所は訓練所長の下に本部があり、各般の事項を統轄する大隊本部を通じて各中隊を指導する。大隊本部の下に六中隊あり、一中隊は約三百人、五小隊を編成し中隊を訓練單位とする。〓科目は學事、農事、實習、〓練、武道、特技等であつて何れも開拓訓練卽〓育といふ大方針に立脚して行はれる。學事の內容は次の如くである。皇國精神、滿洲開拓問題、滿洲事情、滿洲農業要綱、榮養食問題、生理衞生、農產加工製造、軍- 41榮養食問題、生理衞生、農產加工製造、軍

コマ27

事講話、國語、日滿歷史及地理、滿洲語、習字等。三現地訓練三箇月の內地訓練を終へた義勇軍は渡滿して現地訓練所に入る。義勇軍は滿洲に於ては滿洲開拓靑年義勇隊と呼ばれてゐる。昭和十三年より昭和十六年十月までの義勇隊渡滿數は總計五一、八五三名に達してゐる。義勇隊現地訓練所は次に揭ぐる如く合計八十二箇所あり、滿洲開拓靑年義勇隊訓練本部に於て一切之が指導統轄の任に當つてゐる。尙滿洲開拓靑年義勇隊訓練本部は日滿の協力合作機關であつて、新京に置かれてある。訓練本部經營滿洲開拓靑年義勇隊訓練所五七滿鐵經營滿洲開拓靑年義勇隊訓練所二滿洲開拓靑年義勇隊嚮導訓練所一滿洲開拓靑年義勇隊吉林鑛工訓練所-滿洲開拓靑年義勇隊鐵道實務訓練所一滿洲開拓靑年義勇隊蓋平增健訓練所一計八二訓練の要領現地訓練所に於ては三箇年の中、前期一年間を基本訓練期間として基礎訓練を五七二-42-一-一一八二前期一年間を基本訓練期間として基礎訓練を(一)現地訓練所に於ては三箇年の中、實施し後期二年間に實務訓練を實施することになつて居り、尙訓練所は日本法令により靑年學校と同等以上と認定されてゐる。訓練の要領は〓ね左の通りである。イ生活訓練神社を中心とした一大家族主義を理想とし、日常生活を通じて皇道精神を鍊磨すると共に、滿洲の氣候風土、衣食住に順應せしめ、所內に於ては新らしい生活樣式を創造して健全な協同生活を行ひ、外に於ては原住民との協和を實踐し以て訓練成果の生活化を期してゐる。卽ち皇民修練、協和訓練、內務訓練、協同生活訓練、國體的規律訓練及び時事問題に關する訓練等を行ふ外、更に情操陶冶として環境の整理美化(舍內裝飾、園藝、小動物園)、音樂(鑑賞、唱歌器樂)、文藝(日記、詩歌)、美術(繪畫、彫刻、工藝)、劇其の他の健全娛樂により趣味生活の善導、農民文化の萠芽を培養してゐる。軍事訓練警備及び戰鬪等の軍事的基礎訓練を主とし、防諜、其の他必要な非常訓練を行ふ外、武道及び體育として劍道、柔道、馬術、相撲、弓道及び日本體操、一般競技、國防競技、職業技能競技等を行つてゐる。ハ農事訓練農耕を通じて農民魂を鍛鍊すると共に、滿洲農業に關する知識技能を體得せしめ、更に將來開拓農民として立派に自立出來るやうな創意と工夫力を修得せしむるやうに訓練を行- 43 -め、

コマ28

ふ。ふ。これこそは義勇隊訓練の中心目標である。特技訓練耕種、畜產、林業、農產加工、トラクター、トラツク、建築、土木、其の他鍛工、蹄鐵工、錻力工、縫工、建具工、桶工、煉瓦工、ホームスパン、製炭、衞生、榮養等の特技者を養成する。ホ〓學訓練訓練生の心身の發達に適應する爲、年齡知能を考慮した班を編成して學科を〓授してゐる。學課目は皇民科に於て皇民學(日本古典、神道、武士道、農民道、東洋思想)、國語、地理、歷史、理數科に於て數學、自然科學(氣象、博物、物理、化學、生理等の基礎科學、測量、建築、土木、衞生等の應用科學)、農業科に於て農村學(東亞國土に對する〓究、滿洲國の諸制度特に農政機構、理想農村建設理論及實際農家經營)、技術學(栽培汎論、畜產汎論、栽培各論、畜產各論、農畜產加エ、農機具の取扱、林業、農業土木)、語學科として滿洲語、ロシヤ語、蒙古語等の日常會話等である。但しロシヤ語、蒙古語は訓練所所在地の狀況によつて之を課することになつてゐる。醫師、看護員、看護婦、榮養指(二)保健衞生各訓練所には立派な病院又は診療所が建設され、導員、寮母等が配屬されて、榮養、看護、治療等を指導し積極的に健康增進に努力してゐる。訓練生の心身の發達に適應する爲、年齡知能を考慮した班を編成して學科を〓授-44-尙哈爾濱には宏壯な義勇隊中央病院が設けられてゐるが、本年から更に現地と內地に近代施設の完備した義勇隊療養所が新設されることになつてをり治療の萬全を期してゐる。(三)訓練の種別訓練は基本、實務及び特殊訓練の三種であるが、その期間は基本訓練及び實務又は特殊訓練を通じ〓ね三農年としてゐる。基本並に實務訓練は〓ね同一の訓練所に於て行はれ訓練の內容及び進度に於て一貫せる系統を保つてゐる。イ基本訓練渡滿後一年間、滿洲の氣候、風土衣食住等に親しませ、滿洲國の一般事情に通ぜしめるやうに、豫備的訓練を與へると共に〓學、〓練を主として協同的心身鍛鍊陶冶、開拓民としての理想信念の確立、開拓農業の基礎訓練、適性査覈の徹底、嚴正なる規律、戰鬪力の養成等が實施される。實務訓練基本訓練終了後の二農年間更に實際的訓練の徹底を期し、理想農村建設を目標とした營農計畫の樹立並に之が實施、卽ち附近部落との親睦、土地利用、農業、畜產、林業、經理、營繕其の他開拓農民として必要な綜合的訓練、部落防衞を中心とした軍事訓練、訓練所用地の持つ自然的素材を基礎とした〓育、理想農村建設の爲必須の各種特別訓練が實施される。而して前記訓練所の中、訓練本部經營の五十七箇所の訓練所及び滿鐵經營の二十一箇所の訓練所- 45 -

コマ29 引用あり

は何れも基本訓練と實務訓練を施す訓練所である。ハ特殊訓練基本訓練を修了した者の中、若干は其の適性特質に應じ將來開拓民以外に向ふ者として別の訓練所に移行せしめ、特殊の訓練を施す。開拓民以外に向ふ者の特殊訓練には二種類ある。卽ち一は將來義勇隊又は開拓團の指導員、醫師、〓員其の他に向ふ者に對して基礎〓育を施し、上級の專門〓育を受ける根抵を作るものであり、他の一は專門的技術訓練を行つて重要鑛工部門等に於ける基幹技術員を養成するものである。前揭の嚮導訓練所、吉林鑛工訓練所及び鐵道實務訓練所の三訓練所は此の開拓民以外に向ふ者を訓練する特殊の訓練所である。尙、身體虚弱者は特に一訓練所に收容して特殊訓練を與へてゐる。蓋平增健訓練所は卽ち此の特殊訓練所である。46- -四義勇軍の將來三箇年の現地訓練を終へた者は、原則として壯年開拓民と同樣政府の補助金を受け、一戶當り十町步の耕地と若干町步の共同用地とを分讓され開拓村の建設に邁進する。但し、其の中特技訓練を受けた者は其の技能を開拓地に於て役立たせ、或は鑛工其の他產業方面にも進出させ、又訓練生の中から適格者として選拔養成を受けた者は、將來指導員、しめることになつてゐる。尙、徵兵檢査は現地に於て受け關東軍の部隊に入隊するのである。將來指導員、或は滿洲國各種機關の要員として活動せ五五義勇隊開拓園昭和十三年渡滿の義勇隊は本年旣に三箇年の訓練を終へ、義勇隊第一囘目の開拓團を結成し、去る十月一日それ〓〓所定の開拓地に移行するに至つた。而して右開拓團は義勇隊訓練の單位たる中隊幹部も隊員も其の儘開拓團を結成せるものであつて、其の總數約一萬七千名、團數は集團開拓團六十三、集合開拓團八、合計七十一箇團である。政府は義勇隊開拓團の年齡構成並に兵役關係等を考慮し、助成期間を六箇年とし、指導員も出來得る限り充實し、配偶者及び家族も可及的速に招致せしむる等理想農村建設に最善の方途を講ずることになつてゐる。- 47 -第四開拓團並滿蒙開拓靑少年義勇軍指導員指導員の使命と任務ー

コマ30

之がため開拓團及び義勇軍は開拓民として重大使命を果すためには統制と指導とが必要であり、特に指導員制度を設けてある。されば指導員は有能、勤勉、力行家にして能く大陸開拓の眞義を悟得したものであることを要する。政府はかゝる人材を各方面から募集し、開拓團並に義勇隊訓練所に配置してゐる。指導員は總て日滿兩國政府の囑託として、身分待遇等一切の人事は日滿兩國に於て明文を以て規定されてゐる。指導員は開拓團指導員及び靑少年義勇軍指導員の二つに分れる。二開拓團指導員-48-開拓團指導員は集團開拓團、集合開拓團指導員とに分れる。一集團開拓團指導員の種類と任務集團開拓團指導員は國長、農事、畜產、經理、警備、保健の指導員であつて、三百集團の場合は農事指導員は特に二名配屬される。團長は、開拓團運營の中核として、團務一切を管理し、外部に對しては開拓團を代表して開拓關係機關との連絡に當る等廣汎な權能と職責とを有してゐる。農事指導員は專ら開拓地の農業經營及び生產技術の改良指導等に從事する。畜產指導員は家畜の疾病驅除、豫防をなすの外家畜の改良、購入、配給等を管掌し、開拓地の有畜農業組織を確立する任務に當る。經理指導員は開拓團の會計、經理に當るのである。集團開拓團に於ては多額の資金を經理するのでその簿記、計數を明確にするため經理指導員が必要である。警備指導員は開拓團の自衞、に當る。治安確保のため兵器彈藥の整備、日滿軍との連絡、匪情蒐集等保健指導員は開拓地に於ける保健衞生に關する一切の任務を擔當し、を指導する。此の方面より開拓民二集合開拓團指導員の種類と任務集合開拓團指導員は五十戶集團に付、團長一名、保健指導員六箇集團に付一名を配屬されるが、之は入植形態が集團開拓團と異るためである。但し其の任務は集團開拓團の場合と何等異るところはない。三開拓團指導員の募集並に訓練(イ)募集集團並に集合開拓指導員應募資格は何れも滿二十歲徵兵檢査終了後の者で身體强健、意志鞏固なることを要する。團長は前述の如く開拓團の中核的指導者たる關係上人物、閱歷、手腕に於て衆の範たることを絕對條件とし、學歷に於ては中等學校卒業者又は之と同等以上の實力ある者員は日本內地に於てより採用するを原則としてゐる。農事、經理指導員は當該部門の指導に當り得る者とし、畜產指導獸醫開案の資格ある者又は滿洲國獸醫師法による獸醫の資格を取得る實力ある49 -

コマ31

警備指導員は陸軍の准尉以上の在〓軍人を者、保健指導員は內地に於て開業の資格を有する醫師、有資格者とし、銓衡の上採用することになつてゐる。保健指導員を除き、何れも內地及び現地訓練を受(ロ)訓練指導員候補者に採用せられた者は、期間は二箇月にして訓ける。内地訓練は茨城縣東茨郡鯉淵村滿蒙開拓幹部訓練所に於て之を行ひ、勤勞精神の涵養をなさしむ練は主として滿洲開拓の重要性を認識せしむると共に農業勞働を通じて訓練期間は約九箇月、但し警現地訓練は滿洲國哈爾濱市開拓指導員訓練所に於て行ひ、るにある。訓練は基本訓練と特別訓練とに分ち、指導員として必要なる備指導員の訓練期間は四箇月である。各指導員に必要なる特別訓練を實施することとなつてゐる。基礎知識を與へると共に、三靑少年義勇軍指導員靑少年義勇軍現地訓練所の訓練單位は中隊にして、由最近一靑少年義勇軍指導員の種類と任務は中隊長の外農事、〓學、〓練、庶務の各指導員を置く。一箇中隊單位の訓練所に於ては中隊長は又多數の中隊を擁する訓練所には大所長である。二箇中隊以上の訓練所には訓練本部が設けられ、隊本部が置かれてゐる。訓練本部、大隊本部には其の規模によつて多少の相違はあるが、總務部、-50-三經理部、訓練部、增健部を置き、庶務、經理、農事、畜產、特技、營養.醫師、藥劑師、看護婦、女子指導員(寮母)等の各指導員が相當數配置されてゐる。二靑少年義勇軍指導員の募集應募資格の主なる點は次の通りである。(一)各指導員の共通事項としては中等學校卒業者又は同等以上の實力を有する年齡二十五歲以上四十五歲までの者、(三)〓練指導員は陸軍豫備役尉官、時幹部候補生又は下士官、(三)高等專門學校以上又は拓殖訓練所の新卒業生にして當該學校長の推薦ある者は特別應募者として取扱ふ、(四)醫師は日本內地に於いて開業の資格を有し、年齡〓ね五十歲までの者、(五)女子指導員は女子中等學校卒業以上の學歷を有する者、又は人物性情、衆の範とするに足る者にして年齡二十五歲以上四十歲未滿の寡婦又は獨身者。三靑少年義勇軍指導員の訓練靑少年義勇軍指導員候補者は滿洲移住協會が拓務省の委囑に依つて經營せる茨城縣東茨城郡鯉淵村滿蒙開拓幹部訓練所に於て訓練を實施せる後渡滿せしめ、更に哈爾濱市開拓指導員訓練所に於て訓練を施す。其の訓練期間は內地現地を通じて〓ね一箇年とす。醫師に對しては內地訓練現地訓練共に行はない。榮養指導員の訓練期間は內地訓練は四箇月である。女子指導員(寮母)は東京市澁谷區千駄谷町にある聖和學苑及び茨城縣東茨城郡鯉淵村日本國民高特技、營養.醫師、藥劑師、看護婦、- 51

コマ32

等學校女子部に於て前後約六箇月の訓練を施す。其の調練内容は大體開拓團指導員に準じてゐる。第五開拓民並義勇軍保護厚生施設一一般醫療施設各集團開拓團には專任の保健指導員駐在し、又醫療費、醫療施設に關しては、日滿兩國政府より共同補助金を支出してゐる。又集合開拓團に於ても診療所施設費、醫療器具及藥品購入費等に對し夫々補助金を支出し、六箇團一名の割合を以て保健指導員を配置し保健衞生上の萬全を期してゐる。尙、開拓團保健指導員の自給を目的として、昭和十五年度より佳木斯に醫科大學、又齊々哈爾、哈爾濱、龍井の三箇所には開拓醫院が夫々開設せられ、更に同年度より日滿兩國政府に依り開拓醫學生の委託養成が實施せらるるに至つた。靑年義勇隊關係に於ては大規模の訓練所、特殊訓練所に本部大病院及び大隊分院を設け、內科、外科齒科等の醫師及び看護婦が配屬されてゐるが、特に傳染病患者を收容するため休養舍が設置されてゐる。小規模の訓練所においても診療所を設置し、醫師を配して診療及び衞生の萬全に努めてゐる。又各訓練所における衞生施設の外、哈爾濱に中央醫院を特設し現地の及ばざる點を補つてゐる。尙、義勇軍の食事に關しては設備の完備を圖り、各中隊に總煉瓦造の炊事場を設け或は加工場を一52造り、更に昭和十五年度には新たに榮養指導員を配屬して榮養改善に就て遺憾なきを期してゐる。二弔慰開拓團員竝に靑少年義勇軍訓練生の死亡に關しては夙に弔慰の方法が開かれてゐるが、昭和十五年度から拓務省より弔慰金を交付することとなり、更に滿洲國政府、陸軍省、開拓關係機關よりも若干を支出することに明文化された。三援護·激勵主として靑少年義勇軍を對象とするもので、各府縣靑少年義勇軍送出地域に於ける父兄會の結成を援助し渡滿後訓練生に對しては、新聞雜誌等を隨時に寄贈し援護に當つてゐる。激勵に關しては昭和十三年以降大日本靑少年團、大日本聯合女子靑年團の協力を得、在滿義勇軍訓練生全部に對し激勵袋の寄贈を行ひ、昭和十五年度に於ては滿洲開拓協力協議會加盟婦人團體の協力に依り約四萬個の激勵袋を發送するを得た。四共濟制度滿洲開拓政策基本要綱に基づき開拓民の開拓地移住後經濟的基礎の確立するまで凡そ五箇年間共濟制度を實施することになつてゐるが、具體策は目下尙ほ〓究の域にある。五開拓醫學生開拓地における保健指導員の恒久的自給の必要竝に支那事變の長期化に伴ふ醫師不足の現況に鑑み、其の充足のための恒久對策として昭和十五年度より給費による開拓醫學生の養成が行はれるに至つた。醫學專門學校生徒に對しては一箇月四拾圓、大學醫學部學生に對しては五- 53 -

コマ33

拾圓を日滿兩國折半負擔にて支給してゐるが、現在の開拓醫學生總數は二百名である。滿洲開拓靑年義勇隊訓練所醫師大學引受制度現地訓練生の醫療の萬全を期し昭和十五年度から本制度が實施されるに至つた。卽ち訓練生一千名以上を收容する訓練所を中心として十一區域に分ち、日滿の大學より各訓練所中一個中隊以上を收容するもの五個所に醫師を派遣することに定められた。第六女子拓殖狀況一女子拓殖講習會竝女子拓殖訓練所拓務省の助成の下に組織的な女子拓殖講習會が實施されたのは昭和十三年度からである。同年度は滿洲開拓民大量送出計畫實施の第二年度に當り、一方又滿蒙開拓靑少年義勇軍制度が實施せらるるに至つたため早晩開拓民の配偶者需要が著しく增加する趨勢にあるを看取し、組織的に女子靑年層に對して、滿洲開拓事業の重要性を認識せしめ、進んで大陸に進出する機運を釀成する目的を以て全國的に女子拓殖講習會を開催せしめるに至つたのであるが、各府縣に於ても逸早くこれに相呼應し、同年度には二十三府縣に於て延數百五十餘囘に亙り女子拓殖講習會、滿洲農業移民花嫁講習會、滿洲移民座談會等を開催した。引續き十四·十五年度に-54-於ては全國各府縣に於て夫々一·二囘宛の講習會が實施さるる狀勢となつて來た。一方この機運と併行し、昭和十三年以降、各府縣の各種婦人團體或は個人を經營主體とする常設的な女子拓殖訓練施設の設置を見るに至つたが、昭和十六年度に於て經營主體を府縣とせる女子拓殖訓練は長野縣桔梗ケ原女子拓務訓練所外七縣に及んで居る。二女子拓殖指導者養成女子拓殖講習會が全國的に普遍化するに伴ひ、之が訓練の統一、指導組織化の必要が起つたため拓務省として昭和十四年度に於て女子拓殖指導者の養成に着手するに至つた。同年度は各府縣知事の推薦に係る女子六十八名に對し、六月下旬から十六日間日本國民高等學校女子部に於て女子拓殖指導者講習會を行ひ、八月下旬には更に滿洲の開拓地實地踏査を行はしめ、所謂耳と目とによる開拓事情の體驗的認識を涵養させ、所期の目的達成を圖ることにしたのであるが、十五年度に於ても引續き之が養成を行ひ、同年度の指導員數九十三名合計百六十一名に及んで居る。尙漸進的に所要數を獲得した曉には此等指導員は分村分〓計畫樹立町村又は義勇軍編成區域に於ける開拓民或は靑少年義勇軍送出に直接、間接に關與するやう期待されて居り、進んでは各府縣に於ける女子拓殖運動の中核的組織となるに至るべく其の發展性を豫約されて居る。三配偶者斡旋狀況開拓民配偶者の斡旋に就ては拓務省は直接關與せず、主として開拓團員個人55 -

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の緣故關係及び府縣或は滿洲開拓協力協議會加盟婦人團體の斡旋に依つて適宜處理されてゐるが、拓務省としては、內地に設置せる女子拓務訓練所及び滿洲北安省鐵驪安拜開拓團外六開拓團に設置せる開拓女塾の訓練を經て開拓民配偶者を作るやう處置してゐる。尙現地開拓女塾の建物は開拓團の施設を利用してゐるが、日本政府よりは塾生に對する渡航費八拾圓、滿洲國政府よりは職員費、塾生生活費(食費、光熱費、被服雜費、醫療費)竝に事務費に對し補助金を支出してをり、塾生の負擔によらず訓練養成の上、開拓民配偶者として幹旋する建前を取つてゐる。女子拓務訓練所の訓練内容は內地訓練たると現地訓練たるを問はず女子靑年學校〓科に據る普通學科の外勤勞を主とする農業實習、農產加工實習、庭訓に基づく家事、作法、家庭衞生、料理等を主とし、訓練期間は〓ね短期は二箇月長期は六箇月に及ぶ。尙この外開拓關係婦人團體或は各府縣海外協會等に於て隨時花嫁相談或は其の斡旋に當つて居るが主なるものとしては大日本靑少年團女子部の開拓士結婚相談所に於て相談斡旋をなし、日滿帝國婦人會に於ては昭和十四年以降は東京本部の外大阪府下に關西女塾を開設、旣に百餘組の花嫁斡旋を行ひ、海外婦人協會に於ても海外各移住地並に滿洲開拓民に對する花嫁幹旋に當つて居り、民間婦人團體、府縣施設、現地施設と相依り相俟ち、開拓民配偶者は勿論、近き將來大量に需要せらるべき靑少年義勇軍配偶者の幹旋に關して、夫々萬遺憾なきを期す- -る態勢を整へつゝある。第七滿洲建設勤勞奉仕隊文部省にては昭和十四年度に於いて興亞靑年勤勞報國隊を結成し、大陸に於ける集團勤勞作業を通じて興亞精神を體得せしめたのであるが、相當の效果を收めたるに鑑み、翌十五年度に於いては拓務、文部、農林三省協議の結果學生並に一般靑年を滿洲及び支那に派遣することに決し、名稱も日滿を通じて滿洲建設勤勞奉仕隊と統一の上實行に移された。拓務省に於いては一般開拓團班、特設農場班、女子班、應援作業班を編成渡滿せしめたが、參加者實績は一般開拓團班二、四八四名、特設農場班前期班一、三七六名、同後期班一、四一九名、女子奉仕隊一〇三名、應援作業班、二、四二九名にして、夫々豫定人員に達した。而して昭和十五年に於ける滿洲建設勤勞奉仕隊は〓ね左の如き方針と要領の下に實施せられた。-方針現下の時局に鑑み、日滿を通ずる食糧及び飼料の增產並に滿洲開拓政策の促進を圖る意圖を明確に標榜し、前年度の方針に修正を加へた點が目立つのであるが、兼て滿洲國の產業開發並に北邊振興工作及び日本農村の更生振興に寄與する目的の下に日滿兩國の勤勞靑年を以て滿洲建設一-

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勤勞奉仕隊を編成し農耕、土木その他の生產並に建設事。業に勤勞奉仕せしめ此等の實踐を通じて滿洲建國の理想を把握し、興亞の大精神を體得せしむるを主眼としたのである。ニ實施要領〓ね左の通りであるが前年度に較べると名稱、組織、編成に於て相當の修正が加へられて居る。卽ち名稱は日滿を通じて一本建とし、組織に於て前年度の甲種(一般靑年隊)、乙種(學生生徒隊)を別記の如く改め、新たに特殊作業隊に女子靑年團を參加せしめたのである。編成に關しても前年度は一中隊一三〇名の中隊單位編成であつたが昭和十五年度は小隊基準とし、原則として一府縣一小隊五〇名とした。尙運營機關としては文部省の外拓務、農林兩省が參加せること前記の通りで、拓務省としては輸送、訓練、連絡に當つたのである。(イ)名稱日滿を通じ「滿洲建設勤勞奉仕隊」とすることに改められた。前年度日本側は「興亞勤勞報國隊」と稱し滿洲國側は「滿洲建設勤勞奉仕隊」と稱してゐたが、紛清を避ける意味から統さるるに至つた。(ロ)組織竝に編成勤勞奉仕隊の組織は前記の如く甲種、乙種の制度が修正され昭和十五年度は開拓生產隊、特殊作業隊、開拓應援作業隊の三種となつたのであるが、〓言すれば夫々左の如き要領で勤勞奉仕に當つた。58開拓生產隊播種期より收穫期まで凡そ六箇月間特設農場(水田農場及び畑作農場)に於て勤勞に當つた。日本農村靑年及び農學校生徒を主流とし、滿洲の土地開發に從事し主として食糧及び飼料の生產に當つた。特殊作業隊日滿兩國の靑年、就中特技を修むる者を主流として動員し、夏期一箇月乃至一箇月半、主として國境建設、軍事、〓學、醫療、獸醫、鑛工、土木、農事、畜產等の指導に當らしめた。尙女子班は家事作業に勤勞奉仕を行つた。開拓應援作業隊主として日本農村靑壯年を關係緣故開拓團に勤勞奉仕せしめ、開拓團建設、生產の促進應援に資せしむる目的の下に行はれたものである。幹部竝に隊の編成勤勞奉仕隊の幹部はその種類に應じ道府縣役職員、學校〓職員、靑年團幹部、在〓軍人分會幹部、農會其の他農業團體幹部、協和會役職員等の中から簡拔された。而して隊の編成としては開拓生產隊の中、一般靑年隊は道府縣單位に適當員數を以て編成し、特殊作業隊は奉仕作業の種類に應じ特務班を編成、又開拓應援作業隊は一團一班を原則に當該開拓團出身府縣町村の者が之に當つた。(ハ)勤勞奉仕期間開拓生產隊は播種期から六箇月とし、基幹員を除き原則とし三箇月交代の前開拓團建設、生59- -靑年團幹部、基幹員を除き原則とし三箇月交代の前

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期後期の二班制を以て實施された。特殊作業隊は夏期凡そ一箇月乃至一箇月半、開拓應援作業班は適宜の時期に凡そ二箇月勤勞奉仕に從事した。(ニ)現地に於ける施設及び給與其の他食糧及び飼料の增產に勤勞奉仕せしむるため現地側關係機關に於て宋、薩爾圖、鶴山、寶〓、白家の五箇所に特設農場を設置し、作業上必要なる施設をしたが、此等は滿洲開拓靑年義勇隊訓練所建設豫定地及び開拓團入植地と關聯を持つて居り、勤勞奉仕隊の作業が開拓民の先遣隊的役割となつたのである。(1)醫療醫療は原則として隊附醫療班が之に當つたが必要に應じ、滿洲國赤十字社、南滿洲鐵道株式會社の援助を受けて居る。現地としては醫療の整備に努め隊員は出發前嚴重なる身體檢査及び豫防注射を行ひ彼我相俟つてその萬全を期したのである。(2)生產物の處置特設農場に於ける生產物は日本側に提出すること、その他生產物は原則として勤勞を受けた者の取得と定められてゐた。開拓應援作業班は- -その他生產物は原則とし第八民間指導及協力機關滿洲移住協會ー本協會は昭和十一年滿洲開拓事業の統一ある發展を助成し、併せて滿洲の產業開發に資する目的を以て設立せられたるものであつて、東京に本部を置く。昭和十二年四月財團法人の組織に改められ、內部組織を整備し、現在總務·指導·宣傳·幹旋及び弘報の五部が設けられてあり、滿洲開拓に關する拓務省唯一の外廓團體として專ら開拓事業の促進並に後援、開拓事業に關する調査、宣傳及び紹介、開拓民の斡旋、宿泊所の設立並に經營等を行ひ、又拓務省の委託によつて茨城縣東茨城郡下中妻村内原にある滿豪開拓靑少年義勇軍訓練所の經營に當つてゐる。二滿洲拓植公社-61-昭和十年我が開拓民の移住助成並に移住地確保の目的を以て新京に設立せられ、初めは滿洲拓植株式會と稱したが、翌十一年大量開拓民送出が重要國策として決定せらるゝに及び之に卽應するため、越えて十二年十二月資本金を五千萬圓に增加し、改組擴大して滿洲拓植公社と改稱するに至つた。本公社は日滿兩國々籍を有する特殊法人であり、非營利主義を原則とする國策會社である。定)款に明示された公社の目的は、一移住用地の取得、管理分讓、二移住者に必要なる施設、三移住者(に必要なる資金の貸付、)四物資の斡旋等であるが、其の他諸種の附帶事業をも行つてをり、現地に(

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於ける日滿兩國唯一の開拓國策遂行の代行機關である。尙、本公社は昭和十六年六月滿鮮拓植株式會社を統合し、拓民の助成をも併せ行ふことになつた。資本金を六千五百萬圓となし、鮮農開三滿洲開拓協力協議會滿洲開拓事業の完遂を期するには國民各層の總力的參畫と强力なる支持を背景とし關係各方面の緊密なる連絡協調を必要とするため昭和十五年二月本滿洲開拓協力協議會が創設されるに至つた。本協議會には滿洲開拓と密接なる關係を有する各種團體十八團體が加盟し、事務所は拓務省內に置かれてある。加盟各團體及び關係官廳は互に密接な連絡を保ち夫々の立場に於て滿洲開拓政策の主旨の普及徹底開拓民、靑少年義勇軍の募集、訓練、送出等に對する協力、援助、女子に對する開拓思想の鼓吹、未招致家族の援護、激勵其の他に就き協力するものであり、府縣協力協議會に對しては本協議會は指導連絡の立場に立つものである。- 62 -

コマ38

(テキストなし)

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2026年10月29日 05:09記事「満蒙開拓団は何人送られ、何人が帰れなかったか ― 単位・時点」(第6版)がこの原典を引用
2026年10月27日 23:07資料の書誌を更新
内容のハッシュ dbc36269105f
2026年10月27日 19:06原典を取得

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