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7 本(新しい順)
- UCDP紛争データ26.1版は過去の値をどれだけ書き換えたか ― 2024年の死者推計は17%増
版の差分の記録では、書き換わったマスは1万516、書き換わった行は4,040行で、両方の版に同じ id がある38万5,591行の約1%にとどまる
- 朝鮮戦争「終結」論と、日本に残る国連軍の枠組み ― 2018年の国会4発言
2018年6月から11月までの4件の発言では、「国連」の語が、朝鮮戦争の名で日本に置かれた軍事の枠組み(朝鮮国連軍とその後方司令部、国連軍の地位協定)を指す場合と、北朝鮮への圧力や外交の場(安保理)を指す場合に分かれている
- 核抑止を、気候の側から読み直す — 「核の冬」研究の当事者が書いた意見論文を、数字と限界から確かめる
核の冬の計算は、1983年の鉛直2層のモデルから2019年の66層へ細かくなり、モデルの上端も80 kmから140 kmへ上がった
- 「外務省の数字」を国会で説明したのは厚生省だった ― 1981年と1995年の2つの答弁
1981年の衆議院内閣委員会では、委員が外務省の調書(1950年4月1日付)から抑留者数「推定七十万名」を読み上げたのに対し、答えたのは厚生省援護局長で、その数字の基礎はおそらく自分の省が出したものだという答弁だった
- 「日米地位協定」は国会でどう語られてきたか ― 発言3,930件と20件を読む
「日米地位協定」を含む発言は1947〜1959年が0件、1960〜1974年が40件、1975〜1989年が146件、1990〜2004年が1,139件、2005〜2014年が968件、2015〜2026年が1,637件で、6期間の合計は3,930件だった。
- シベリア抑留の数字は何を数えているか ― 抑留57.5万人・死亡5.5万人を分けて読む
日本政府の抑留約57万5,000人・死亡約5万5,000人(いずれもモンゴルを含む)は、帰還者からの聞き取りなどを積み上げた厚労省の推計で、厚労省は死亡者数について修正の可能性を認めている
- 満蒙開拓団は何人送られ、何人が帰れなかったか ― 単位・時点・数え方をそろえて数字を比べ直す
1941年9月末の集団開拓団の入植総戸数25,923戸は第1期(1937〜41年度)の目標10万戸の約26%だが、計画が始まる前(1936年度まで)の第1〜5次の分が入っているので達成率とはみなせず、その分は史料の間で戸と名が食い違うので…