独自分析
「外務省の数字」を国会で説明したのは厚生省だった ― 1981年と1995年の2つの答弁
題名の根拠根拠
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この記事について・目次
この記事について
- 型
- 独自分析
- 版
- 第1版
- 初版
- 2026年10月28日
- 更新
- 2026年10月29日
- 脚注
- 23 件(すべて原典と照合)
- 原典
- 2 件
要点
- 1981年の衆議院内閣委員会では、委員が外務省の調書(1950年4月1日付)から抑留者数「推定七十万名」を読み上げたのに対し、答えたのは厚生省援護局長で、その数字の基礎はおそらく自分の省が出したものだという答弁だった[1][2]根拠
- 同じ答弁は、70万を引揚げ業務を始める際の当初の概数の推計とし、舞鶴で帰還者から聞き取って積み上げた数を57万5千としており、同じ省の数が12万5千人低い方へ置き換わっているが、どちらも概数なので千人単位の幅がある[3][4][5]根拠
- 1995年の参議院厚生委員会では向きが逆で、厚生省の局長が外務省の1953年3月の調査表の数を自分の答えとして引いており、この2件の範囲では、外務省の資料と厚生省の答弁を別個の出どころとして数えられない[6][2]根拠
- 1995年の答弁が読み上げた調査表の数のうち、死亡・帰還・未引揚の3区分を足すと在籍者数241,160名にちょうど一致するが、義勇隊訓練所員22,518名と開拓団員213,666名は、答弁自身が訓練のあとに開拓団になった経緯に触れているため、答弁が読み上げた範囲では人物の内訳として足し合わせることはできない根拠
この記事は、国会会議録の2件の発言だけを材料にしている。1件は1981年3月26日の衆議院内閣委員会、もう1件は1995年3月16日の参議院厚生委員会である[7][8]。2件に共通するのは、国会で「外務省の資料」として出された数を、厚生省が答えているという形である。
1. 1981年 ― 外務省の調書の数を厚生省が引き取る
1981年3月26日の衆議院内閣委員会で、渡部行雄委員は、1950年4月1日付の文書「在ソ日本人捕虜の処遇と一九四九年八月十二日のジュネーブ条約との関係」を外務省の調書として読み上げた[7][9]。委員が引いた部分は、日本政府が発表し総司令部が算定の基礎としている抑留者数を「推定七十万名」とするものだった[1]。同じ調書は、ソ連側が終戦直後に59万4,000名を抑留者総数のように発表したが、それは1945年9月12日の発表で、その後1946年春ごろまでにどれだけ入ソしたかは明らかにされていないとも書いていた[10]。委員は、宮澤官房長官が57万5,000名と答えていることを挙げ、「開きが大分多過ぎる」と質した[11]。
答えたのは外務省ではなく、厚生省援護局長の持永和見だった[12]。同局長は「これも基礎は恐らく私どもの方で出した数字だと思います」として、自分から答えると述べた[2]。その説明では、70万は昭和22年(1947年)に引揚げ業務を始める際、各戦場における引揚者の基本数として推計した数で、その後にソ連からの引揚げが始まり、舞鶴で帰還者から数字を把握して積み上げた数が57万5,000人だったとしている[3][4]。積み上げの方法は、抑留者が作業大隊に編成されて送られたことから、各作業大隊の幹部や帰還者に大隊ごとの人数を聞き、積み上げて計算したものだという[13]。当初の数字については「当初概数として推計いたしました数字」と述べた[5]。
【分析】1981年の記録では、外務省の調書に載った数を国会で説明したのは厚生省の局長で、その基礎も自分の省が出した数字だろうと述べている根拠。したがって、同じ70万という数について、外務省の調書と厚生省の答弁が一致していても、2つの別個の裏付けとは数えられない根拠。ただし、基礎が厚生省の数字だという部分は「恐らく」と「思います」を伴う答弁で、調書そのものは本稿では見ていないため、調書の70万が1947年の推計と同じものだと確かめられたわけではない根拠。同じ答弁の中で、厚生省は自分の省の数を70万から57万5千に置き換えており、その差は12万5千人になるが、どちらも概数なので千人単位の幅がある根拠。この2つは、引揚げ業務を始める際の概数の推計と、舞鶴での聞き取りを積み上げた数で、数え方が違う根拠。
2. 1995年 ― 外務省の調査表を厚生省が引く
1995年3月16日の参議院厚生委員会で、厚生省社会・援護局長の佐野利昭は、青年義勇隊の人たちだけに限った数字は「持ち合わせておりません」と答えた[8][14][15]。そのうえで、外務省が「帰国した人たちからの情報に基づきまして」昭和28年(1953年)3月にまとめたという「在満開拓団義勇隊在籍者調査表」の数を挙げた[6]。調査表による開拓団の在籍者数は241,160名で、その内訳は死亡65,323名、帰還146,330名、未引揚29,507名である[16][17][18][19]。在籍者のうち青年義勇隊員として登録されていたのは義勇隊訓練所員として22,518名で、開拓団員は213,666名だった[20][21]。局長はこの2つの数の間に、「三年ぐらい訓練を受けてから」開拓団になった人がいるという経緯を挟んでおり[22]、開拓団員の中にどの程度義勇隊員であった人が入っているかは「この資料からは推計できない」と述べた[23]。
表1 2件の答弁に現れた「外務省の資料」とその数(記録の述べ方のまま。2行の数は数える対象が違うので、行どうしは比べない)根拠
| 答弁の日 | 答えた人 | 外務省の資料 | 資料に載った数 | 数のもとについての記録の述べ方 |
|---|---|---|---|---|
| 1981-03-26 | 厚生省援護局長[12] | 1950年4月1日付の調書[9] | 抑留者数 推定70万名[1] | 基礎は恐らく厚生省が出した数字[2]。1947年の当初概数の推計[3][5] |
| 1995-03-16 | 厚生省社会・援護局長[14] | 1953年3月の在満開拓団義勇隊在籍者調査表[6] | 開拓団の在籍者 241,160名[16] | 帰国した人たちからの情報に基づき外務省がまとめた[6] |
【分析】1995年の答弁が読み上げた3つの区分のうち、死亡・帰還・未引揚を足した241,160名は、在籍者数として答弁された241,160名と同じ数になる根拠。一方、義勇隊訓練所員22,518名と開拓団員213,666名は、答弁自身が訓練のあとに開拓団になった経緯に触れ、開拓団員の中に元義勇隊員がどれだけ入っているかは推計できないとしているので、人物の内訳として足すことはできない根拠。この2区分はどちらも在籍者241,160名の中の登録として読み上げられているので、重なりがあるかどうかにかかわらず、2区分に入る人数は合わせて236,184名を超えない根拠。したがって、差の4,976名は、どちらの区分にも入らない在籍者の人数の下限として読める(重なりがあれば、その人数はさらに増える)根拠。義勇隊訓練所員と開拓団員は、答弁では訓練のあとに開拓団になる関係として述べられていて、死亡・帰還・未引揚の3区分のように在籍者を一度ずつ分けた区分だとは述べられていない根拠。局長が青年義勇隊だけの数を出せないとしたのは、調査表の登録の区分からは開拓団員の中の元義勇隊員を分けられないという点である根拠。
3. 2件を突き合わせる
2件は別の院・別の委員会・別の年の記録で、主題も、一方はシベリア抑留者の数、他方は満蒙開拓の在籍者の数である[7][8]。それでも、外務省の資料に載った数を厚生省の局長が国会で説明するという形は、どちらにも共通している[2][6]。
【分析】2件の答弁に共通するのは、記録の上では外務省の資料に載った数が、国会では厚生省の側から説明されている点である根拠。ただし向きは同じではなく、1981年の答弁は数字のもとを自分の省に引き取り、1995年の答弁は外務省の調査表を自分の答えとして引いている根拠。2件の答弁によれば、57万5千と1953年の調査表の数はどちらも帰還・帰国した人たちから集めた情報をもとに作られており、70万だけが引揚げ業務を始める際の推計である根拠。ただし、1995年の答弁は調査表の情報を誰が集めたかを述べていないので、1981年と同じ向きの依存があったとは言えない根拠。この2件の範囲では、同じ事柄について外務省の資料と厚生省の答弁が並んでいても、別個の出どころとして数えられない根拠。
4. この記事で言えないこと
- 材料は国会会議録の2件の発言だけで、外務省の調書(1950年)も在満開拓団義勇隊在籍者調査表(1953年)も、本稿では原本を見ていない[9][6]。記録にあるのは、それらを引いた答弁の文言である。
- 1981年の答弁の「恐らく」は推量で、調書の70万が厚生省の1947年の推計と同じ数だという確認ではない[2][3]。
- 2件の記録に出てくる数は、数える対象(シベリアの抑留者と満洲の開拓団の在籍者)も、数え方も、時点も違う。1981年の側の数と1995年の側の数を、足したり大小を比べたりはできない[3][16]。
- 義勇隊訓練所員22,518名と開拓団員213,666名は、人を一度ずつ数えた区分だとは答弁に書かれていない[20][21]。答弁は訓練のあとに開拓団になった経緯に触れ、開拓団員の中の元義勇隊員の数は推計できないとしている[22][23]。したがって、この2つを足した236,184名は2区分に入る人数の上限、在籍者数との差4,976名はどちらの区分にも入らない在籍者の人数の下限であって、どちらも区分ごとの人数の内訳としては読めない[23]。
- 調査表の在籍者数241,160名について、答弁はその基準の時点を述べていない[16]。本稿は、死亡・帰還・未引揚の内訳が付くことから終戦時までの在籍の数として扱っているが、答弁にその記述は無い。
- 59万4,000名はソ連側の発表として調書が引いた数で、調書はその後の入ソ分が「明らかにされていない」としている[10]。含まないとは書かれていない。
- 発言の著作権は各発言者にあるため、引用は短い範囲にとどめ、要約は筆者の言葉で書いている。
出典
- 国立国会図書館 国会会議録検索システム。衆議院 内閣委員会 第2号(1981-03-26、第94回国会)発言84・85・86・87(渡部行雄委員、持永和見 厚生省援護局長): https://kokkai.ndl.go.jp/txt/109404889X00219810326 (発言ごとの URL は同じ会議録ID に発言番号を付けた形)
- 国立国会図書館 国会会議録検索システム。参議院 厚生委員会 第4号(1995-03-16)発言57(佐野利昭 厚生省社会・援護局長): https://kokkai.ndl.go.jp/txt/113214237X00419950316/57
- 利用条件: 発言の著作権は各発言者に帰属し、著作権法40条・32条等の権利制限の範囲で利用(https://kokkai.ndl.go.jp/help.html 、https://kokkai.ndl.go.jp/api.html )。本稿は事実・数値の抽出と短い引用にとどめ、同じ発言者の発言を集めて編集していない。
この記事の検証について
- 引用の照合 脚注 23 件の引用文は、プログラムで原典の本文と照合しています。
- 数字と結論の検査 単位・時点・数え方・推計と確定の区別・結論の言い過ぎなどを、公開の前に機械で検査しています。
- 別のAIによる点検 執筆とは別のAIが、反対の読み方を探す役で点検し、必要な直しを反映しています。点検の後に本文が変わった記事は公開しません。
- 権利の確認 原典ごとの利用条件を確かめています。
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脚注(原典・場所・原文の一部)
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- 衆議院 内閣委員会 第2号(1981-03-26)渡部行雄委員・持永和見 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)、発言84(渡部行雄 委員)): 「シベリア抑留者数は推定七十万名である」 原典 照合済み ↩
関連: シベリア抑留、外務省(日本)、国立国会図書館 - 衆議院 内閣委員会 第2号(1981-03-26)渡部行雄委員・持永和見 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)、発言85(持永和見 厚生省援護局長)): 「外務省が出されたという数字でございますが、これも基礎は恐らく私どもの方で出した数字だと思いますので、便宜私からお答えさせていただきたいと思います」 原典 照合済み ↩
関連: 外務省(日本)、厚生省、国立国会図書館 - 衆議院 内閣委員会 第2号(1981-03-26)渡部行雄委員・持永和見 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)、発言85(持永和見 厚生省援護局長)): 「各戦場におきます引き揚げ者の基本数を推計いたしております。この推計がいま先生おっしゃいました七十万という数字になっております」 原典 照合済み ↩
関連: 国立国会図書館 - 衆議院 内閣委員会 第2号(1981-03-26)渡部行雄委員・持永和見 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)、発言85(持永和見 厚生省援護局長)): 「舞鶴で帰還者がお帰りになりました際に、それぞれ数字を把握いたしまして、それを積み上げたものが先ほど先生おっしゃいました、官房長官がお挙げになりました五十七万五千人というような数字でございます」 原典 照合済み ↩
関連: 国立国会図書館 - 衆議院 内閣委員会 第2号(1981-03-26)渡部行雄委員・持永和見 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)、発言85(持永和見 厚生省援護局長)): 「当初の数字は、私どもが引き揚げ業務を始めます際に、当初概数として推計いたしました数字」 原典 照合済み ↩
関連: 国立国会図書館 - 第132回国会 参議院 厚生委員会 第4号 発言57(佐野利昭政府委員)(国立国会図書館 国会会議録検索システム、発言57(佐野利昭 政府委員)): 「外務省が、帰国した人たちからの情報に基づきまして、昭和二十八年三月に在満開拓団義勇隊在籍者調査表とい…」(要約が許されていない原典のため短く掲載) 原典 照合済み ↩
関連: 外務省(日本)、満蒙開拓青少年義勇軍(満洲開拓青年義勇隊)、厚生省、国立国会図書館 - 衆議院 内閣委員会 第2号(1981-03-26)渡部行雄委員・持永和見 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)、冒頭(会議録の識別)): 「国会会議録 衆議院 内閣委員会 第2号 1981-03-26(第94回国会)」 原典 照合済み ↩
関連: 国立国会図書館 - 第132回国会 参議院 厚生委員会 第4号 発言57(佐野利昭政府委員)(国立国会図書館 国会会議録検索システム、冒頭(会議録の識別)): 「【1995-03-16 参議院 厚生委員会 第4号 発言番号57】」(要約が許されていない原典のため短く掲載) 原典 照合済み ↩
関連: 厚生省、国立国会図書館 - 衆議院 内閣委員会 第2号(1981-03-26)渡部行雄委員・持永和見 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)、発言84(渡部行雄 委員)): 「これは一九五〇年四月一日、「在ソ日本人捕虜の処遇と一九四九年八月十二日のジュネーブ条約との関係」こういう文書ですが」 原典 照合済み ↩
関連: 外務省(日本)、国立国会図書館 - 衆議院 内閣委員会 第2号(1981-03-26)渡部行雄委員・持永和見 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)、発言84(渡部行雄 委員)): 「この数字に対してソ連側は終戦直後五十九万四千名の数字を抑留者総数かのように発表した」 原典 照合済み ↩
関連: ソビエト連邦(ソ連)、国立国会図書館 - 衆議院 内閣委員会 第2号(1981-03-26)渡部行雄委員・持永和見 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)、発言84(渡部行雄 委員)): 「ところがこの前宮澤官房長官が答えたのは、五十七万五千名だと答えている。開きが大分多過ぎるのですが」 原典 照合済み ↩
関連: 国立国会図書館 - 衆議院 内閣委員会 第2号(1981-03-26)渡部行雄委員・持永和見 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)、発言85の見出し): 「発言番号 85 / 発言者: 持永和見 / 肩書: 厚生省援護局長」 原典 照合済み ↩
関連: 厚生省、国立国会図書館 - 衆議院 内閣委員会 第2号(1981-03-26)渡部行雄委員・持永和見 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)、発言87(持永和見 厚生省援護局長)): 「各作業大隊ごとに何人ぐらいの人がおられたかということをずっと積み上げて計算したものでございます」 原典 照合済み ↩
関連: 国立国会図書館 - 第132回国会 参議院 厚生委員会 第4号 発言57(佐野利昭政府委員)(国立国会図書館 国会会議録検索システム、冒頭(発言者の記載)): 「発言者: 佐野利昭(厚生省社会・援護局長)」(要約が許されていない原典のため短く掲載) 原典 照合済み ↩
関連: 厚生省、国立国会図書館 - 第132回国会 参議院 厚生委員会 第4号 発言57(佐野利昭政府委員)(国立国会図書館 国会会議録検索システム、発言57(佐野利昭 政府委員)): 「その青年義勇隊の人たちのみを限定した数字は実は持ち合わせておりません」(要約が許されていない原典のため短く掲載) 原典 照合済み ↩
関連: 満蒙開拓青少年義勇軍(満洲開拓青年義勇隊)、厚生省、国立国会図書館 - 第132回国会 参議院 厚生委員会 第4号 発言57(佐野利昭政府委員)(国立国会図書館 国会会議録検索システム、発言57(佐野利昭 政府委員)): 「満州に入植した開拓団の在籍者数というのが、二十四万一千百六十名であり」(要約が許されていない原典のため短く掲載) 原典 照合済み ↩
関連: 満洲(中国東北部)、厚生省、国立国会図書館 - 第132回国会 参議院 厚生委員会 第4号 発言57(佐野利昭政府委員)(国立国会図書館 国会会議録検索システム、発言57(佐野利昭 政府委員)): 「その中で死亡された方が六万五千三百二十三名」(要約が許されていない原典のため短く掲載) 原典 照合済み ↩
関連: 厚生省、国立国会図書館 - 第132回国会 参議院 厚生委員会 第4号 発言57(佐野利昭政府委員)(国立国会図書館 国会会議録検索システム、発言57(佐野利昭 政府委員)): 「それから帰還された方が十四万六千三百三十名」(要約が許されていない原典のため短く掲載) 原典 照合済み ↩
関連: 厚生省、国立国会図書館 - 第132回国会 参議院 厚生委員会 第4号 発言57(佐野利昭政府委員)(国立国会図書館 国会会議録検索システム、発言57(佐野利昭 政府委員)): 「それで未引揚者は、二万九千五百七名」(要約が許されていない原典のため短く掲載) 原典 照合済み ↩
関連: 厚生省、国立国会図書館 - 第132回国会 参議院 厚生委員会 第4号 発言57(佐野利昭政府委員)(国立国会図書館 国会会議録検索システム、発言57(佐野利昭 政府委員)): 「義勇隊訓練所員として二万二千五百十八名であります」(要約が許されていない原典のため短く掲載) 原典 照合済み ↩
関連: 満蒙開拓青少年義勇軍(満洲開拓青年義勇隊)、厚生省、国立国会図書館 - 第132回国会 参議院 厚生委員会 第4号 発言57(佐野利昭政府委員)(国立国会図書館 国会会議録検索システム、発言57(佐野利昭 政府委員)): 「開拓団員として二十一万三千六百六十六名がいらっしゃるわけです」(要約が許されていない原典のため短く掲載) 原典 照合済み ↩
関連: 厚生省、国立国会図書館 - 第132回国会 参議院 厚生委員会 第4号 発言57(佐野利昭政府委員)(国立国会図書館 国会会議録検索システム、発言57(佐野利昭 政府委員)): 「訓練を受けてから開拓団になられたということでありましょうから」(要約が許されていない原典のため短く掲載) 原典 照合済み ↩
関連: 満蒙開拓青少年義勇軍(満洲開拓青年義勇隊)、厚生省、国立国会図書館 - 第132回国会 参議院 厚生委員会 第4号 発言57(佐野利昭政府委員)(国立国会図書館 国会会議録検索システム、発言57(佐野利昭 政府委員)): 「その中にどの程度義勇隊員であった方が入っていらっしゃるかということはこの資料からは推計できないわけで…」(要約が許されていない原典のため短く掲載) 原典 照合済み ↩
関連: 満蒙開拓青少年義勇軍(満洲開拓青年義勇隊)、厚生省、国立国会図書館
主張と計算の根拠(21件)
本文の「根拠」の印から、ここに移る。主張ごとに、材料の事実(番号は上の脚注)と、計算の式を載せた。式は公開前の検査で再計算し、データの集計はスクリプトを再実行して、記事の値と一致することを確かめた。
「外務省の数字」を国会で説明したのは厚生省だった ― 1981年と1995年の2つの答弁
見出し・言い切りの強さ: 言い切り ↩
1981年の衆議院内閣委員会では、委員が外務省の調書(1950年4月1日付)から抑留者数「推定七十万名」を読み上げたのに対し、答えたのは厚生省援護局長で、その数字の基礎はおそらく自分の省が出したものだという答弁だった
値・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩
同じ答弁は、70万を引揚げ業務を始める際の当初の概数の推計とし、舞鶴で帰還者から聞き取って積み上げた数を57万5千としており、同じ省の数が12万5千人低い方へ置き換わっているが、どちらも概数なので千人単位の幅がある
値・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩
1995年の参議院厚生委員会では向きが逆で、厚生省の局長が外務省の1953年3月の調査表の数を自分の答えとして引いており、この2件の範囲では、外務省の資料と厚生省の答弁を別個の出どころとして数えられない
値・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩
1995年の答弁が読み上げた調査表の数のうち、死亡・帰還・未引揚の3区分を足すと在籍者数241,160名にちょうど一致するが、義勇隊訓練所員22,518名と開拓団員213,666名は、答弁自身が訓練のあとに開拓団になった経緯に触れているため、答弁が読み上げた範囲では人物の内訳として足し合わせることはできない
値・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩
根拠の事実 [16] [17] [18] [19] [20] [21] [23] [22]
計算1981年の記録では、外務省の調書に載った数を国会で説明したのは厚生省の局長で、その基礎も自分の省が出した数字だろうと述べている
値・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩
したがって、同じ70万という数について、外務省の調書と厚生省の答弁が一致していても、2つの別個の裏付けとは数えられない
値・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩
ただし、基礎が厚生省の数字だという部分は「恐らく」と「思います」を伴う答弁で、調書そのものは本稿では見ていないため、調書の70万が1947年の推計と同じものだと確かめられたわけではない
値・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩
同じ答弁の中で、厚生省は自分の省の数を70万から57万5千に置き換えており、その差は12万5千人になるが、どちらも概数なので千人単位の幅がある
差・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩
比べる数字の違い 定義が違う数字を比べている。本文の説明: この2つは、引揚げ業務を始める際の概数の推計と、舞鶴での聞き取りを積み上げた数で、数え方が違う
この2つは、引揚げ業務を始める際の概数の推計と、舞鶴での聞き取りを積み上げた数で、数え方が違う
定義・言い切りの強さ: 言い切り ↩
表1 2件の答弁に現れた「外務省の資料」とその数(記録の述べ方のまま。2行の数は数える対象が違うので、行どうしは比べない)
値・言い切りの強さ: 言い切り ↩
根拠の事実 [14] [6] [16] [12] [9] [1] [2] [3] [5]
表の行
1995年の答弁が読み上げた3つの区分のうち、死亡・帰還・未引揚を足した241,160名は、在籍者数として答弁された241,160名と同じ数になる
比較・言い切りの強さ: 言い切り ↩
一方、義勇隊訓練所員22,518名と開拓団員213,666名は、答弁自身が訓練のあとに開拓団になった経緯に触れ、開拓団員の中に元義勇隊員がどれだけ入っているかは推計できないとしているので、人物の内訳として足すことはできない
定義・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩
この2区分はどちらも在籍者241,160名の中の登録として読み上げられているので、重なりがあるかどうかにかかわらず、2区分に入る人数は合わせて236,184名を超えない。したがって、差の4,976名は、どちらの区分にも入らない在籍者の人数の下限として読める(重なりがあれば、その人数はさらに増える)
差・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩
根拠の事実 [16] [20] [21] [23] [22]
計算比べる数字の違い 対象の範囲が違う数字を比べている。本文の説明: 義勇隊訓練所員と開拓団員は、答弁では訓練のあとに開拓団になる関係として述べられていて、死亡・帰還・未引揚の3区分のように在籍者を一度ずつ分けた区分だとは述べられていない
義勇隊訓練所員と開拓団員は、答弁では訓練のあとに開拓団になる関係として述べられていて、死亡・帰還・未引揚の3区分のように在籍者を一度ずつ分けた区分だとは述べられていない
定義・言い切りの強さ: 言い切り ↩
局長が青年義勇隊だけの数を出せないとしたのは、調査表の登録の区分からは開拓団員の中の元義勇隊員を分けられないという点である
値・言い切りの強さ: 言い切り ↩
2件の答弁に共通するのは、記録の上では外務省の資料に載った数が、国会では厚生省の側から説明されている点である
値・言い切りの強さ: 言い切り ↩
ただし向きは同じではなく、1981年の答弁は数字のもとを自分の省に引き取り、1995年の答弁は外務省の調査表を自分の答えとして引いている
値・言い切りの強さ: 言い切り ↩
2件の答弁によれば、57万5千と1953年の調査表の数はどちらも帰還・帰国した人たちから集めた情報をもとに作られており、70万だけが引揚げ業務を始める際の推計である
値・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩
ただし、1995年の答弁は調査表の情報を誰が集めたかを述べていないので、1981年と同じ向きの依存があったとは言えない
不在・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩
この2件の範囲では、同じ事柄について外務省の資料と厚生省の答弁が並んでいても、別個の出どころとして数えられない
値・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩
この記事が使った原典(2件)
- 第132回国会 参議院 厚生委員会 第4号 発言57(佐野利昭政府委員)(国立国会図書館 国会会議録検索システム) 原典を開く
- 衆議院 内閣委員会 第2号(1981-03-26)渡部行雄委員・持永和見 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)) 原典を開く
この記事を引用するとき
国際情勢・歴史研究所(Institute for Global Affairs and History)「「外務省の数字」を国会で説明したのは厚生省だった ― 1981年と1995年の2つの答弁」第1版、2026年10月29日更新。https://igah.institute/articles/diet-mofa-figures-mhw-answers/
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