原典

衆議院 内閣委員会 第2号(1981-03-26)渡部行雄委員・持永和見 厚生省援護局長

発行・掲載国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)
著者・発言者各発言者(text.txt に記載)
発行日1981-03-26
取得日2026年10月27日
URLhttps://kokkai.ndl.go.jp/api/meeting?issueID=109404889X00219810326&recordPacking=json
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発言84(渡部行雄 委員)「外務省の数字」を国会で説明したのは厚生省だった ― 1981年と1995年の2… 脚注1
「シベリア抑留者数は推定七十万名である」
「外務省の数字」を国会で説明したのは厚生省だった ― 1981年と1995年の2… 脚注9
「これは一九五〇年四月一日、「在ソ日本人捕虜の処遇と一九四九年八月十二日のジュネーブ条約との関係」こういう文書ですが」
「外務省の数字」を国会で説明したのは厚生省だった ― 1981年と1995年の2… 脚注10
「この数字に対してソ連側は終戦直後五十九万四千名の数字を抑留者総数かのように発表した」
「外務省の数字」を国会で説明したのは厚生省だった ― 1981年と1995年の2… 脚注11
「ところがこの前宮澤官房長官が答えたのは、五十七万五千名だと答えている。開きが大分多過ぎるのですが」
発言85(持永和見 厚生省援護局長)「外務省の数字」を国会で説明したのは厚生省だった ― 1981年と1995年の2… 脚注2
「外務省が出されたという数字でございますが、これも基礎は恐らく私どもの方で出した数字だと思いますので、便宜私からお答えさせていただきたいと思います」
「外務省の数字」を国会で説明したのは厚生省だった ― 1981年と1995年の2… 脚注3
「各戦場におきます引き揚げ者の基本数を推計いたしております。この推計がいま先生おっしゃいました七十万という数字になっております」
「外務省の数字」を国会で説明したのは厚生省だった ― 1981年と1995年の2… 脚注4
「舞鶴で帰還者がお帰りになりました際に、それぞれ数字を把握いたしまして、それを積み上げたものが先ほど先生おっしゃいました、官房長官がお挙げになりました五十七万五千人というような数字でございます」
「外務省の数字」を国会で説明したのは厚生省だった ― 1981年と1995年の2… 脚注5
「当初の数字は、私どもが引き揚げ業務を始めます際に、当初概数として推計いたしました数字」
発言85の見出し「外務省の数字」を国会で説明したのは厚生省だった ― 1981年と1995年の2… 脚注12
「発言番号 85 / 発言者: 持永和見 / 肩書: 厚生省援護局長」
発言87(持永和見 厚生省援護局長)「外務省の数字」を国会で説明したのは厚生省だった ― 1981年と1995年の2… 脚注13
「各作業大隊ごとに何人ぐらいの人がおられたかということをずっと積み上げて計算したものでございます」
冒頭(会議録の識別)「外務省の数字」を国会で説明したのは厚生省だった ― 1981年と1995年の2… 脚注7
「国会会議録 衆議院 内閣委員会 第2号 1981-03-26(第94回国会)」

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日時内容
2026年10月29日 05:09記事「「外務省の数字」を国会で説明したのは厚生省だった ― 198」(第1版)がこの原典を引用
2026年10月28日 14:12資料の書誌を更新
内容のハッシュ e00fbaaa60db
2026年10月27日 19:11原典を取得

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