独自分析

シベリア抑留の数字は何を数えているか ― 抑留57.5万人・死亡5.5万人を分けて読む

シベリア抑留の数字を、数えている対象ごとに分ける ― 抑留57万5,000人・死亡5万5,000人・特定4万1,201人・未収容 約3万3,040柱(旧ソ連とモンゴルの概数の合計で、旧ソ連の値はウズベキスタン分を含む)

題名の根拠根拠

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型
独自分析
版
第6版
初版
2026年10月27日
更新
2026年10月29日
脚注
110 件(すべて原典と照合)
原典
23 件

データと計算

計算
compute/naj-search.mjs
0a77f8fee98d
計算
compute/ru-thousands.mjs
a4b0300e5a15

要点

  • 日本政府の抑留約57万5,000人・死亡約5万5,000人(いずれもモンゴルを含む)は、帰還者からの聞き取りなどを積み上げた厚労省の推計で、厚労省は死亡者数について修正の可能性を認めている[1][2][3]根拠
  • ソ連・ロシア側と原文で帰属できる抑留者数のうち、点で示された数字は、1945年のソ連の発表とキリチェンコの59万4,000人(同じ大もとの可能性があり、2つを別々の裏付けとは数えない)と、ガリツキーの63万9,000人の2種類で、どちらも日本政府の57万5,000人、モンゴルを除いた56万1,000人より多い。一方、クズネツォフが「諸説」としてまとめた54万〜61万人は、下限の54万人が日本政府の数より小さい。この幅は誰の推計を集めたかが原文に無く、ソ連・ロシア側の低い推計を含むのか、日本側の推計を含むのかも分からないので、日本の数がその内側に入ることを、数が合っている裏付けとは読めない。同じ理由で、この幅を外して点の数字だけを見て、ソ連・ロシア側の数のほうが多い傾向があるとも言えない。死亡者数で帰属できるのはキリチェンコの8万3,591人とガリツキーの6万2,000人で、どちらも日本政府の5万5,000人を上回る。元の資料が分からない1991年の新聞報道(抑留63万9,635人、死亡4万6,082人と別枠の1万5,986人)は「出所未確認(新聞)」として別の区分にした。これを入れると、別枠を除いた4万6,082人を使う場合に限り、死亡者数の幅が5万5,000人をまたぐ根拠
  • 食い違いについて原典が具体的に書いているのは、1950年の外務省の調書が、当時の日本政府の推定70万人と比べて、ソ連の59万4,000人は1945年9月12日の発表で、その後に何人がソ連に入ったかは明らかにされていない、とした点だけである。これは70万人との差についての記述で、今の57万5,000人は59万4,000人より小さいので、その後の入ソを考えに入れると差はむしろ広がり、今の数との食い違いの説明には使えない。範囲の違いが原文で確かめられるのはクズネツォフの幅(ソ連領内の元日本軍人で、モンゴルを含まない)だけで、ほかの範囲や数え方の違いは手元の原典では確かめられない仮説にとどまる根拠
  • 個人を特定できた死亡者は2025年度末で4万1,201人で、累計は2023年度末から2年間で235人増えた。年度内の特定数は2023年度127人・2025年度93人で、2014年度の938人の7分の1を下回るが、2023〜2025年度の3年だけで毎年減り続けているとは言えない。2008年の「身元が確認できた者」3万2,009人とは数え方が同じか確かめられないので、2008年からの増え方は計算しない根拠
  • 遺骨の数は資料ごとに範囲が違う。令和7年度の報告は収容を2万264柱(2025年度末)とし、戦友らが持ち帰った約1,700柱を別に挙げている。2026年7月末の有識者会議の資料は、収容を地域別の概数で計約2万1,960柱(2万264柱に約1,700柱を足した数と概数としてほぼ同じ)、未収容を旧ソ連3万2,840柱(ウズベキスタンの812柱を含むと注記)、モンゴル200柱としている(旧ソ連とモンゴルは概数、ウズベキスタンは概数の表示が無い)。未収容の数は3地域とも、戦没者の数(人)からこの資料の収容数(柱)を引いた値と一致し、1人を1柱とみなした差し引きとみられるので、未収容と組になる収容数は2万264柱ではなく約2万1,960柱で、こちらは持ち帰りの約1,700柱を含む可能性があるが、資料はそう書いていない根拠

1. 7つの数字は、別々のものを数えている

抑留の規模を示す数字には、人を数えたものと遺骨(柱)を数えたもの、推計と確定値が混ざっている。下の表は、数える対象ごとに1行ずつ分けたもの。

表1 何を数えた数字か(1行に1つの数え方。人と柱、推計と確定を分け、行どうしの引き算や比較は本文で違いを示した箇所だけで行う)根拠

#何を数えたか単位値時点出典一次/二次状態
1抑留された人(旧ソ連・モンゴル)人約57万5,000(うちモンゴル約1万4,000)推計の元は主に昭和20年代(1945〜54年)の聞き取り。厚労省のページは2026年10月27日の取得時点でもこの値厚労省のページ[1][4]一次推計(総数は修正しないと答弁[3])
2帰還した人人約47万3,000(うちモンゴル約1万2,000)同上同[5]一次推計
3死亡と認められる人人約5万5,000(うちモンゴル約2,000)同上。2026年5月の答弁でも使用[6]同[2]一次推計(修正の可能性ありと答弁[3])
4ロシアなどから届いた死亡者名簿に載った名前人(名簿上の名前。重複や第三者を含みうる[7])4万9402008年5月16日現在(これより新しい総数は手元の資料に無い)厚労省の報道発表[8]一次確定(名簿の件数)
5a名簿の登載者のうち「身元が確認できた者」人3万2,0092008年5月16日現在同[9]一次確定
5b日本側資料の死亡者と照合して「特定」した人人4万1,201(旧ソ連3万9,660、モンゴル1,541)2025年度末までの累計令和7年度の取組状況[10][11][12]一次確定
6収容した遺骨柱2万264(戦友らが持ち帰った約1,700柱は含まない)2025年度末までの累計同[13][14]一次確定(約1,700は概数)
7未収容の遺骨(同じ資料の収容 約2万1,960柱と組になる数で、6の2万264柱とは組にならない)柱旧ソ連3万2,840(うちウズベキスタン812)、モンゴル2002026年7月末有識者会議の資料[15][16][17][18]一次旧ソ連・モンゴルは推計(概数)、うちウズベキスタンの812は概数の表示なし

1〜5は人を、6と7は柱を数えている。4は名簿に載った名前の数で、死亡者の数そのものではない。厚労省は、名簿には氏名の重複や第三者の情報が含まれる場合があるとしている[7]。2005年に受け取った約2万7,000人分の名簿は北朝鮮へ移送された人の名簿で、死亡者名簿ではない。存命の人を含む可能性があるとして公表されていない[19]。

2. 57万5,000人と5万5,000人はどう作られたか

  • 最初の概数は約70万人。 1947年に引揚げ業務を始めるとき、厚生省は戦域ごとに引揚者の基本数を推計し、その数が約70万人だった[20]。1950年の外務省の調書も、日本政府が発表し総司令部が算定の基礎とした数を推定70万人としていた[21]。厚生省援護局長は1981年、調書の数も基礎はおそらく厚生省の数字だと答えている[22]。
  • 作業大隊ごとの積み上げ。 厚生省は、大隊の幹部や帰還者から大隊ごとの人数を聞き取り、積み上げて57万5,000人を出した[23]。聞き取りは主に昭和20年代(1945〜54年)に引揚港で行われた[4]。
  • 留守家族の届出との照合。 帰還者の情報を、留守家族が出した未帰還者の届出と突き合わせた[24][25]。
  • 4万7,000人は差し引き。 厚労省の答弁によると、「旧満州・北朝鮮へ送られた者等」の約4万7,000人は、総数57万5,000人から死亡5万5,000人と帰還47万3,000人を引いた残りで、独立に数えた値ではない[26][27]根拠。

厚生省は1991年、どの数字が絶対に正しいとは言えないとしつつ、推計は実情と大きく違わないとの考えを示した[28]。2015年には厚労省が、抑留者の総数57万5,000人は修正されないが、死亡者数は今後の資料の分析で修正される可能性がないわけではない、と答弁している[3]。厚労省のページは、2026年10月27日の取得時点でも57万5,000人と5万5,000人を示している[1][2]根拠。5万5,000人は2026年5月の厚労相の答弁でも使われている[6]。

モンゴルを除いた旧ソ連地域だけの数字は、2006年の答弁で抑留56万1,000人、帰還46万1,000人、死亡5万3,000人だった[29][30][31]。抑留前にいた場所別では、旧満州から約44万1,700人、北朝鮮から約6万6,000人、樺太・千島から約6万7,300人と推計されている[32]。

3. 日本政府、ソ連・ロシア側、出所未確認の新聞報道の数字(手元にあるすべて)

抑留者数と死亡者数について、手元の原典にある数字を、出どころを問わずすべて並べる。ソ連・ロシア側の数字は、どれも国会での紹介か論文の引用を通した二次的なもので、元の資料は取得できていない。それでも、1945年のソ連の発表、キリチェンコ、ガリツキー、クズネツォフの数字は、原文が、発表したのがソ連側であることや研究者の名前(キリチェンコとガリツキーは所属も。クズネツォフはロシアの研究者の論文が引く文献)を示しているので、ソ連・ロシア側に帰属できる[33][34][35][36]。これに対し、1991年3月の新聞報道の数字は、議員が「きょうの新聞にも出ていましたが」と前置きして挙げただけで、報道がどの資料によったか(ソ連側の資料か、日本側の集計か)は原文に無い[37]。このため表2・表3では「出所未確認(新聞)」という別の区分にし、幅はこれを入れない場合と入れる場合の両方で出す。

表2 抑留者数(人)。数えた機関・時点・範囲が違う場合があり、差をそのまま誤差とは読めない根拠

数字区分誰の数字か何を数えたか・範囲時点経路(一次/二次)状態
約70万日本政府厚生省(引揚げ開始時の概数)戦域ごとの引揚者の基本数1947年1981年の局長答弁[20](一次)推計
約57万5,000日本政府厚生省・厚労省旧ソ連・モンゴルに抑留された者聞き取りは主に1945〜54年。現在も使用厚労省のページ[1](一次)推計
56万1,000日本政府厚労省旧ソ連地域だけ(モンゴルを除く)2006年の答弁[29](一次)推計
59万4,000ソ連・ロシア側ソ連側の発表「抑留者総数かのように」発表した数1945年9月12日1950年の外務省調書を1981年に国会で読み上げ[33](二次)伝聞
59万4,000ソ連・ロシア側キリチェンコ(ソ連・東洋学研究所)捕虜1991年に国会で紹介議員の紹介[34](二次。原典は未確認)伝聞
63万9,000ソ連・ロシア側ガリツキー(ソ連国防省の研究員)捕虜1991年に国会で紹介議員の紹介[35](二次。原典は未確認)伝聞
63万9,635出所未確認(新聞)1991年3月の新聞報道(元の資料は原文に無い)シベリア抑留者1991年3月議員の紹介[37](二次。報道の元資料は未確認)伝聞
54万〜61万ソ連・ロシア側クズネツォフ(ロシアの研究者)の整理ソ連領内に収容された元日本軍人(諸説の幅)2011年セレブレンニコフ(2018)の引用[36](二次)推計

総司令部が1948年10月に示した「ソ連地区になお47万人以上」は、その時点で残っていた人の推定で、総数ではないので表に入れていない[38]。1950年の外務省調書の「推定70万人」も、局長の答弁によれば基礎は厚生省の数なので、1947年の約70万と同じ行として扱った[21][22]。

表3 死亡者数(人と柱を分ける)。数えた範囲が違う場合があり、差をそのまま誤差とは読めない根拠

数字単位区分誰の数字か何を数えたか・範囲時点経路(一次/二次)状態
約5万5,000人日本政府厚労省旧ソ連・モンゴルで死亡と認められる者聞き取りは主に1945〜54年。2026年も使用[2][6](一次)推計(修正の可能性あり[3])
5万3,000人日本政府厚労省旧ソ連地域だけ2006年の答弁[31](一次)推計
8万3,591人ソ連・ロシア側キリチェンコ死亡者1991年に国会で紹介[39](二次)伝聞
6万2,000人ソ連・ロシア側ガリツキー死亡者1991年に国会で紹介[40](二次)伝聞
4万6,082人出所未確認(新聞)1991年3月の新聞報道(元の資料は原文に無い)亡くなった人(次の行の1万5,986人を除く)1991年3月[41](二次)伝聞
1万5,986人出所未確認(新聞)同じ報道前線の収容所などで亡くなり、すでに遺骨で帰った人(別枠)1991年3月[42](二次)伝聞
3万4,422柱出所未確認(新聞)同じ報道墓地341か所の柱数(人数ではない)1991年3月[43](二次)伝聞

表の数字は、数えた機関、時点、範囲(モンゴルを含むか、前線の収容所での死亡を含むか、など)、数え方がそれぞれ違うか不明で、差をそのまま誤差や過少・過大とは読めない。

【分析】ソ連・ロシア側と帰属できる抑留者数は、1945年9月12日のソ連の発表とキリチェンコの59万4,000人、ガリツキーの63万9,000人、クズネツォフの整理の54万〜61万人で、全部を並べた幅は54万〜63万9,000人になり、日本政府の57万5,000人も、モンゴルを除いた56万1,000人も数の上ではこの幅の内側に入るが、下限の54万人は、クズネツォフが「諸説」としてまとめた幅の端で、誰の推計を集めたかは原文に無く、日本側の推計を含む可能性もあるので、内側に入ることを、日本の数がソ連側の数と合っている裏付けとは読めない根拠。

【分析】出所未確認の1991年の新聞報道の63万9,635人を加えても、これも日本政府の57万5,000人より多く、幅の上限が63万9,635人に上がるだけで、点の数字がどれも日本政府の数より多いという関係は変わらない根拠。

【分析】点で示されたソ連・ロシア側の数字(1945年のソ連の発表とキリチェンコの59万4,000人、ガリツキーの63万9,000人)だけで比べると、日本政府の57万5,000人も56万1,000人もそのどれより小さく、日本政府の数を下回るのはクズネツォフの整理の下限54万人だけなので、「内側にある」という見え方も、点の数字だけを見たときの「ソ連・ロシア側のほうが多い」という見え方も、誰の推計かが分からない諸説の幅をどう扱うかに依っている根拠。

【分析】クズネツォフの幅は、ソ連領内に収容された元日本軍人の数でモンゴルを含まないので、範囲を合わせて比べる相手は日本政府のモンゴルを除いた56万1,000人で、これも54万〜61万人の内側に入るが、この幅は諸説を集めたもので日本側の推計を含む可能性があるので一致の裏付けにはならず、日本政府の数は元軍人に限るとは書かれていないので、軍人か民間人かの範囲までそろっているとも言えない[36][29]根拠。

【分析】死亡者数でソ連・ロシア側と帰属できるのは、キリチェンコの8万3,591人とガリツキーの6万2,000人の2つで、幅は6万2,000〜8万3,591人になり、日本政府の5万5,000人も、モンゴルを除いた5万3,000人も、この幅より小さい根拠。

【分析】出所未確認の新聞報道を加える場合、別枠の1万5,986人を除いた4万6,082人なら幅は4万6,082〜8万3,591人になって5万5,000人をまたぎ、足した6万2,068人なら幅は6万2,000〜8万3,591人のままで、5万5,000人が幅をまたぐのは、元の資料が分からない4万6,082人を、別枠を除いたまま入れた場合だけである根拠。

【分析】1991年の報道の4万6,082人と1万5,986人を足すと6万2,068人になるが、報道が両者を別枠にしている以上、足してよいかは元の資料の定義しだいである根拠。

【分析】抑留者数については、ソ連・ロシア側と帰属できる点の数字はどれも日本側の57万5,000人より多く、1950年の外務省の調書は59万4,000人を1945年9月12日の発表で、その後どれだけ入ソしたかは明らかにされていないとしているので、59万4,000人にはその後の入ソが入っていないと読めるが、59万4,000人の2つは同じ大もとから出ている可能性があり、1つと数えると点の数字は59万4,000人と63万9,000人の2種類だけで、クズネツォフが諸説としてまとめた54万〜61万人の下限は日本側の数より小さく、この幅に誰の推計が入っているかも原文に無いので、資料全体としてソ連・ロシア側の数のほうが多い傾向があるとまでは言えず、どの数字も何を数えたかの定義が手元に無いので、差が人数の違いか範囲の違いかも決められない根拠。

【分析】死亡者数については、ソ連・ロシア側と帰属できる2つの数字がどちらも日本側の5万5,000人より多く、新聞報道の数字を入れるかどうかはこの関係を左右しないが、差が数え方の違い(前線の収容所での死亡を含むか、モンゴルを含むか、など)から来るのかは、2人の数字の定義が手元の原典に無いので決められない根拠。

【分析】キリチェンコの59万4,000人は1945年9月12日のソ連の発表と同じ数で、同じ大もとから出ている可能性があり、2つを独立した裏付けとは言えない根拠。

【分析】ガリツキーの63万9,000人と1991年の報道の63万9,635人は千の位まで同じで、63万9,635人を千の位に四捨五入すると64万人になるので、63万9,000人はこれをそのまま四捨五入した値ではないが、両資料とも精度や丸め方、集計の時点を書いておらず、千未満の切り捨てのほか、集計した時点の違いや紹介のときの桁の省略でも、同じ系統の資料からこの程度の差は生じうるので、表示された値だけでは、同じ系統の資料かどうかも、どう丸めたかも判定できない根拠。

【分析】死亡者でも、ガリツキーの6万2,000人と、報道の4万6,082人に別枠の1万5,986人を足した6万2,068人も千の位まで同じで(6万2,068人は千の位に四捨五入しても切り捨てても6万2,000人になるので、ガリツキーの数が千人単位に丸めた値なら、差は丸めの幅に収まる)、報道の数字がガリツキーと同じ系統の資料によっていて、別枠を足した値が死亡者の総数にあたる可能性があるが、報道の元の資料が無いので確かめられず、本稿は報道の数字をソ連・ロシア側の区分には入れない根拠。

表4 数字が食い違う理由の候補(原典が理由として書いているのは1だけで、それも1950年当時の推定70万人とソ連の59万4,000人の差についてで、今の57万5,000人との差の理由ではない。2の範囲の違いはクズネツォフの幅についてだけ原文で確かめられ、ほかの数字の範囲と3〜4は手元の原典では確かめられない仮説)根拠

候補手がかり(原典)原典は違いの理由として書いているか確かめるのに要る証拠
1 時点1950年の外務省の調書は、日本政府の推定70万人に対し、ソ連の59万4,000人は1945年9月12日の発表で、その後1946年春ごろまでにどれだけ入ソしたかは明らかにされていない、と書いた[21][33]。今の57万5,000人[1]は59万4,000人より小さいので、その後の入ソはこの差をむしろ広げる向きに働く70万人との差の理由としては書いている(外務省の調書)。今の57万5,000人との差の理由としては書いていない1945年9月以降のソ連への移送の記録。ロシアで2013年に刊行された文書集(784ページ)[44]が候補。ただし、これで確かめられるのは70万人との差の説明までである
2 範囲(地域・送り返し・軍人か)日本側はモンゴルを含めて5万5,000人、除くと5万3,000人[2][31]。57万5,000人には、入ソ後に旧満州・北朝鮮へ送られた約4万7,000人も入っている[27]。クズネツォフの54万〜61万人は、ソ連領内に収容された元日本軍人の数で、モンゴルを含まない[36]理由としては書いていない。ただしクズネツォフの幅の範囲(ソ連領内・元軍人)は原文で確かめられるクズネツォフ以外のソ連側の各数字が、モンゴルや、旧満州・北朝鮮へ送り返された人、民間人を含むかの定義
3 範囲(死亡の場所)1991年の報道(元の資料は未確認)は、前線の収容所などで亡くなった1万5,986人を別枠にしていた[42]別枠にしたことは書いているが、日本側との違いの理由とは書いていない日本側の5万5,000人が、収容所に入る前の死亡を含むか
4 数え方日本側は帰還者からの聞き取りと留守家族の届出による推計[23][24][4]。ソ連側には個人別の登録文書や登録カードがあり、日本は1993年以降に受け取った[45][46]書いていない。キリチェンコらの数字がこうした記録に基づくかは、手元の原典に無い各研究者の数字の算出方法(原典)

このうち原典が違いの理由として書いているのは1だけで、それも1950年当時の日本政府の推定70万人とソ連の59万4,000人の差についての記述で、今の57万5,000人との差の理由としては書かれておらず、2の範囲の違いは、クズネツォフの幅についてはソ連領内の元日本軍人を数えモンゴルを含まないことが原文で確かめられるが、ほかのソ連側の数字については定義が手元に無く、3と4も手元の原典では確かめられない仮説である根拠。国会では2026年にも、政府機関の間で数字に差があるとの指摘が出ている[47]。厚労相は同じ年、女性や朝鮮半島出身者などの死亡者数は、記録が少なく把握が難しいと答弁した[48]。

4. 名簿と「特定」の数

厚労省の資料一覧によると、受け取った記録は名簿だけではない。

  • 死亡者名簿:氏名、生年、民族、階級、死亡日、埋葬日、墓番号など。この一覧での最初の入手は1991年4月で、2007〜2008年にも追加が届いた[49](それ以前にも1959年から数回の受領がある[50])。
  • 個人別登録文書:死亡者の分は、捕虜になった場所、死因、埋葬場所まで含む[45]。聞き取りのアンケート、カルテ、死亡証書、埋葬証書などからなり、照合に最も役立つと厚労省は説明している[51]。ただし、ソ連兵が日本人の発音を聞き取って書いたため、誤記が多いともしている[52]。
  • 裁判記録:逮捕理由、判決、刑期、名誉回復の日付を含む[53]。

1991年に受け取った名簿の人数は、1992年の答弁では約3万8,000人、厚労省のページでは約3万7,000人と書かれているが、どちらも千人単位の概数で丸め方が示されていないので、実数が違うとは言えない[54][55]根拠。2つとも千の位に四捨五入した値なら、実数の差は1〜1,999人のどこかにあるが、約3万8,000人が四捨五入、約3万7,000人が切り捨ての値なら、3万7,500〜3万7,999人のどれでも両方の表記になり、同じ人数でありうる(3万7,500人・3万7,999人や1〜1,999人は、丸め方を仮定して逆算した範囲の端で、名簿の人数の推計ではないので、一人単位のまま書いている)根拠。決めるには、この名簿の正確な件数が要る。

表5 身元の特定の数(2008年の行は数え方が違う可能性があり、2013年度末以降の行と続けて比べない)根拠

時点数数え方(原典の語)母数出典
2008年5月16日現在3万2,009人提供名簿の登載者のうち「身元が確認できた者」名簿の登載者4万940人報道発表[9][8]
2013年度末3万8,280人「特定」(特措法に基づく実績)日本側資料から推計した死亡者約5万5,000人2015年3月の答弁[56]
2014年度末3万9,218人(うち2014年度938人)「身元が特定された数」(旧ソ連・モンゴル)同上2015年4月の答弁[57][58]
2023年度末4万966人(うち2023年度127人)「特定件数」同上令和5年度の取組状況[59][60]
2025年度末4万1,201人(うち2025年度93人)「特定件数」同上令和7年度の取組状況[10][61]

2008年の3万2,009人は、ロシア側の名簿に載った4万940人のうち身元を確認できた人数として示されている[8][9]。2013年度以降の「特定」は、提供された名簿や登録カードを、日本側資料で把握している死亡者と照合した人数である[62][56]。

【分析】2008年の「身元が確認できた者」3万2,009人と2013年度以降の「特定」が同じ数え方かどうかは、手元の資料では確かめられないので、2008年からの増え方は計算しない根拠。

【分析】2014年度末の3万9,218人から2013年度末の3万8,280人を引くと938人で、同じ年の答弁が挙げた2014年度の特定数938人と一致し、2013年度末以降の数は同じ数え方の続きと読める根拠。

【分析】2023年度末の4万966人から2025年度末の4万1,201人まで、特定件数の累計は2年間で235人増えた根拠。

【分析】この2年間に過去の分の訂正や重複の除外が無かったとすれば、235人から2025年度の93人を引いた142人が2024年度の特定数になるが、その前提が成り立つかは、2024年度の年度内の特定数(令和6年度の取組状況の数字)と照らすまで決められない根拠。

【分析】厚労省の数字では、年度内に特定した人数は2014年度の938人に対し、2023年度は127人、2025年度は93人で、どちらも938人の7分の1(134人)を下回る根拠。

【分析】2023〜2025年度の3年間は、2024年度を上の前提での142人とすると127人、142人、93人で増減があり、この3年だけからは毎年減り続けているとは言えない根拠。

【分析】死亡者の推計5万5,000人を前提にすると、特定できていない人は約1万4,000人(推計が千人単位の概数なので、差も千人単位に丸めた)になるが、5万5,000人は推計で修正の可能性があり、特定数(確定値)とは数え方も違うので、この差は目安にとどまる根拠。

このほか、2020年4月〜2022年9月に特定できたのは345件[63]。厚労相は2022年11月に「約4万人」、2026年5月に「約4万1,000人」を特定したと答弁している[64][65]。厚労省は、特定した人の漢字氏名と出身都道府県を名簿に加えて公開している[7]。資料の写しは遺族や抑留経験者が無料で請求できる[66]。2006年の国会では参考人が、厚労省に届いた名簿は約4万7,000人分で、8回ほどに分けて届いたと述べている[67]。政府とは別に、元抑留者の村山常雄氏が4万8,000人を超える名簿を独自に入力し、公開していたことも国会で紹介された[68]。

5. 遺骨:収容した数と、未収容の数

収容した遺骨は2025年度末で2万264柱で、令和7年度の報告はこのほかに戦友らが持ち帰った約1,700柱を別に挙げている[13][14]根拠。

表6 収容した遺骨(柱)。資料ごとに範囲が違い、戦友らが持ち帰った約1,700柱を含むかも違う場合がある根拠

資料(時点)収容数(柱)範囲戦友らが持ち帰った約1,700柱出典
2015年3月の答弁(2013年度末)1万7,801特措法に基づく実績(地域の内訳なし)書かれていない[69]
2015年4月の答弁(2014年度末)1万9,445(うち2014年度143)1991年度から収容した分期間の外なので含まないとみられる[70]
2022年11月の答弁約2.2万内訳なし書かれていない[71]
令和5年度の取組状況(2023年度末)2万264内訳なし含まない(「このほか」と別に記載)[72]
令和7年度の取組状況(2025年度末)2万264内訳なし含まない(「このほか」と別に記載)[13][14]
有識者会議の資料(2026年7月末)旧ソ連2万160(うちウズベキスタン0)、モンゴル1,800地域別の概数書かれていない[73][74][75][18]

【分析】令和7年度の報告の2万264柱に、別に挙げた約1,700柱を足すと約2万1,964柱になり、有識者会議の資料の地域別の合計2万1,960柱と表示上は4柱しか違わないが、どちらも概数を含み、丸め前の差は決められないので、言えるのは概数としてほぼ一致することまでである根拠。

【分析】有識者会議の資料の概数が戦友らの持ち帰った遺骨を含んでいる可能性はあるが、資料はそう書いておらず、確かめるには厚労省の内訳が要る根拠。

【分析】2013年度末の1万7,801柱に2014年度の143柱を足した1万7,944柱は、2014年度末の累計1万9,445柱より1,501柱少なく、2つの答弁が同じ範囲の累計だとすれば数がつながらない根拠。

【分析】差がどこから来るかは答弁に書かれておらず、2つの数の範囲が違う可能性がある根拠。

有識者会議の資料は、2026年7月末の未収容の遺骨を、旧ソ連3万2,840柱、モンゴル200柱とし、ウズベキスタンの812柱は旧ソ連地域の統計に含むとしている[15][16][17][18]根拠。ウズベキスタンには13か所の埋葬地の情報があるが、宗教上の理由で遺骨収集の許可が得られていない[76][77][78]。

【分析】ウズベキスタンの行の統計・実績の欄には「旧ソ連地域の統計・実績に含む」という注記があり、812柱は旧ソ連の3万2,840柱にすでに入っているので、未収容の合計は旧ソ連とモンゴルを足した約3万3,040柱で、これは概数どうしの合計で、一柱単位の総数ではない[18]根拠。

【分析】未収容の数は3地域とも、戦没者の数(人、旧ソ連とモンゴルは概数、ウズベキスタンは概数の表示が無い812人)から収容数(柱)を引いた値と一致し(旧ソ連5万3,000−2万160=3万2,840、モンゴル2,000−1,800=200、ウズベキスタン812−0=812)、1人の死亡者を1柱とみなした差し引きとみられる[79][80][81]根拠。

【分析】この見方が正しいとすれば、未収容の数は、戦没者の推計が変われば同じだけ動く根拠。

【分析】この見方に立つと、未収容の数と組になる収容数は、令和7年度の報告の2万264柱(持ち帰りの約1,700柱を含まない)ではなく、この資料の地域別の計約2万1,960柱で、こちらは持ち帰りの約1,700柱を含む可能性があるが、資料はそう書いていない[13][14]根拠。

【分析】厚労省は死亡者数を合計約5万5,000人(うちモンゴル約2,000人)とし、令和5年度の取組状況では旧ソ連地域を約5万3,000人としていて、有識者会議の資料の注記どおり812人は旧ソ連の5万3,000人に入っているので、この資料の旧ソ連とモンゴルの戦没者の表示された値の和もこの合計と合うが、5万3,000人と2,000人はどちらも概数で丸め方が示されていないので、合うのは表示された値どうしで、一人単位で一致するかまでは言えない[2][82][18]根拠。

【分析】旧ソ連の行の地域の欄は「ウズベギスタンを除く」(原文の表記)としているが、数の範囲については、ウズベキスタンの行の統計・実績の欄の注記が、旧ソ連地域の統計・実績に含むと直接示しているので、812柱は旧ソ連の3万2,840柱の内数として扱い、ウズベキスタンの分を別に足さない[79][18]根拠。

ロシアでの遺骨収集は、ウクライナ侵攻のあと実施が難しくなっている[83]。2025年9月に危険情報は一部改められたが、渡航中止勧告は続いている[84]。厚労相は2022年の時点で、資料を集めるための現地調査も難しいと述べていた[85]。2023年度にモンゴルの公文書館から約500枚の資料を得たのに対し、ロシアからは3枚にとどまった[86]。特定した埋葬地は233か所、うち収容を終えたのは214か所(2025年度末)[87]。DNA鑑定は2,734件で、遺族に返した遺骨は1,248柱[88]。場所と名簿の情報がありながら未収集の55埋葬地には、名簿上4,742人が載っている[89]。

6. 年表

表7 年表(できごとの日付)根拠

年月日できごと出典
1945年8月9日ソ連軍が侵攻。以後、抑留が始まる[90]
1945年9月12日ソ連側が59万4,000人という数字を発表[33]
1946年12月19日連合軍最高司令官とソ連の協定。ソ連地区から月5万人を引き揚げることを決める[91]
1947年12月1日〜1948年5月冬季を理由に、ソ連地区からの引揚げが中止される[92]
1948年10月25日総司令部が、ソ連地区になお47万人以上、うちシベリアに36万5,000人以上が残ると推定[38]
1956年10月19日日ソ共同宣言に調印(12月12日批准)。有罪判決を受けた日本人全員の釈放・送還と、消息不明者の調査継続を定める[93][94]
1959年ソ連から最初の死亡者名簿・墓地資料を受け取る[50]
1991年4月ゴルバチョフ大統領が訪日。死亡者名簿が提供される[55][49]
1993年12月死亡者の個人別登録文書を受け取る[45]
2008年4月14日日露外相会談で134人分の名簿を受け取る。うち新たな死亡者は5人[95][96]
2009年12月〜2010年4月抑留者登録カードを受け取る[46]
2010年6月16日戦後強制抑留者特別措置法を公布[97]
2011年8月5日実態調査等の基本方針を閣議決定[98]
2015年4月提供された全資料の概要を公表。以後、原則として毎月公表[99]
2026年1月消息がわからないモンゴルの死亡者約160人の名簿をモンゴル側に渡す[100]

特措法は「戦後強制抑留者」を、1945年9月2日以後に旧ソ連・モンゴルの地域で強制抑留された者と定義している[101]。特別給付金は帰還の時期で5段階に分かれ、1948年末までの帰還者は25万円、1955年以降の帰還者は150万円だった[102]。

7. 国立公文書館への移管

厚労省は、ロシア側などから得た資料を国立公文書館へ移している。2026年3月末までに保存期間が満了した対象には、死亡者名簿の翻訳約20冊、登録カードのDVD約90枚、マイクロフィルム約2,300本などが含まれる[103]。

国立公文書館デジタルアーカイブで「ソ連邦抑留」を検索すると243件が見つかり(2026年10月27日)[104]、243件すべてが厚生労働省の「戦没者等援護関係資料」の下にある根拠。このうち、1993年度に提供された死亡者の個人資料の簿冊が108件ある(例: 第104冊は36,052〜36,401番)[105][106]。登録カードの簿冊は、平成21年(2009年)に厚労省の調査資料室が作成・取得したと記録されている[107]。

死亡者名簿の翻訳の簿冊はこの検索で18件見つかり、ハバロフスク地方などの9分冊は1991年4月のものと記録されている[108][109]。令和5年度の取組状況は、令和6年(2024年)3月末現在で移管済みの死亡者名簿の翻訳を18冊としており、検索で見つかった18件と数が一致するので、同じ簿冊を指していると読むのが自然だが、検索の1件が1冊にあたるかは目録の記述からは確かめられない[110]根拠。令和7年度の取組状況の「約20冊」は、2026年3月末までに保存期間が満了し移管を進めている資料の数で[103]、移管済みの18冊とは時点も範囲も違う。


出典

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  1. ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)(厚生労働省、「抑留中死亡者について」の節(1)): 「(1)旧ソ連地域に抑留された者 約 575,000人(うちモンゴル約 14,000人)」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、モンゴル、厚生労働省
  2. ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)(厚生労働省、「抑留中死亡者について」の節(3)): 「(3)死亡と認められる者 約 55,000人(うちモンゴル約 2,000人)」 原典 照合済み ↩
    関連: モンゴル、厚生労働省
  3. 参議院 厚生労働委員会 第10号(2015-05-12)川田龍平委員・谷内繁 厚生労働大臣官房審議官(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「帰還者を含めました抑留者五十七万五千人が修正されることにはならないと考えておりますけれども、死亡者数につきましては、今後の資料の分析により修正される可能性がないわけではないというふうに考えております。」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、国立国会図書館
  4. 参議院 厚生労働委員会 第10号(2015-05-12)川田龍平委員・谷内繁 厚生労働大臣官房審議官(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「厚生労働省では、主に昭和二十年代の引揚げ時の港における抑留帰還者からの聞き取りによりまして、旧ソ連地域に抑留された方は約五十七万五千人、そのうち死亡者が約五万五千人と推計しております。」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、厚生労働省、国立国会図書館
  5. ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)(厚生労働省、「抑留中死亡者について」の節(2)): 「(2)現在までに帰還した者 約 473,000人(うちモンゴル約 12,000人)」 原典 照合済み ↩
    関連: モンゴル、厚生労働省
  6. 衆議院 厚生労働委員会 第12号(2026-05-27)早稲田ゆき委員・上野賢一郎 厚生労働大臣(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「これまで、約五万五千人のシベリア抑留中死亡者のうち、約四万一千人の個人を特定しておりまして」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、国立国会図書館
  7. ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)(厚生労働省、名簿の閲覧の説明): 「なお、これまでに個人が特定された方については、漢字氏名及び出身地(都道府県名)を記載しています。また、提供された名簿には、氏名の重複や第三者情報が含まれている場合があります。」 原典 照合済み ↩
    関連: ロシア、厚生労働省
  8. ロシア連邦政府から引き渡された「旧ソ連邦抑留中死亡者名簿」について(報道発表資料)(厚生労働省、(参考)調査進捗状況): 「「旧ソ連邦抑留中死亡者名簿の調査進捗状況」(平成20年5月16日現在) ・登載者総数(ロシア連邦政府等から提供された数) 40,940名」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、ロシア、厚生労働省
  9. ロシア連邦政府から引き渡された「旧ソ連邦抑留中死亡者名簿」について(報道発表資料)(厚生労働省、(参考)調査進捗状況): 「・身元が確認できた者32,009名」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  10. 強制抑留の実態調査等に関する取組状況(令和7年度)(厚生労働省(政府の基本方針に基づく公表)、p.1): 「41,201 人 93 人 38,933 人 88 人」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  11. 強制抑留の実態調査等に関する取組状況(令和7年度)(厚生労働省(政府の基本方針に基づく公表)、p.1): 「39,660 人 75 人 37,517 人 74 人」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、厚生労働省
  12. 強制抑留の実態調査等に関する取組状況(令和7年度)(厚生労働省(政府の基本方針に基づく公表)、p.1): 「1,541 人 18 人 1,416 人 14 人」 原典 照合済み ↩
    関連: モンゴル、厚生労働省
  13. 強制抑留の実態調査等に関する取組状況(令和7年度)(厚生労働省(政府の基本方針に基づく公表)、p.2): 「(遺骨の収容)収容遺骨数※:20,264 柱」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  14. 強制抑留の実態調査等に関する取組状況(令和7年度)(厚生労働省(政府の基本方針に基づく公表)、p.2): 「※ このほか復員あるいは引揚げの際に戦友等により持ち帰られた遺骨が約 1,700 柱。」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  15. 戦没者の遺骨収集事業の取組状況について(令和8年度第1回有識者会議 資料1)(厚生労働省、p.11): 「・未収容遺骨概数 32,840柱」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、厚生労働省
  16. 戦没者の遺骨収集事業の取組状況について(令和8年度第1回有識者会議 資料1)(厚生労働省、p.12): 「・未収容遺骨概数 200柱」 原典 照合済み ↩
    関連: モンゴル、厚生労働省
  17. 戦没者の遺骨収集事業の取組状況について(令和8年度第1回有識者会議 資料1)(厚生労働省、p.12): 「・未収容遺骨数 812柱」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  18. 戦没者の遺骨収集事業の取組状況について(令和8年度第1回有識者会議 資料1)(厚生労働省、p.12): 「(旧ソ連地域の統計・実績に ・2か所の埋葬地調査の実現に向けて、外務省 等関係行政機関と連携し、ウズベギスタン共和 含む)」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、外務省(日本)、厚生労働省
  19. 参議院 厚生労働委員会 第10号(2015-05-12)川田龍平委員・谷内繁 厚生労働大臣官房審議官(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「平成十七年にロシア連邦政府から入手いたしました約二万七千人分の北朝鮮移送者名簿につきましては、現在も御存命の方もおられる可能性がありますことから、プライバシーの保護の観点から公表しないこととしていると…」 原典 照合済み ↩
    関連: ロシア、国立国会図書館
  20. 衆議院 内閣委員会 第2号(1981-03-26)渡部行雄委員・持永和見 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「二十二年に引き揚げ業務が始まります際に、各戦場におきます引き揚げ者の基本数を推計いたしております。この推計がいま先生おっしゃいました七十万という数字になっております。」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生省、国立国会図書館
  21. 衆議院 内閣委員会 第2号(1981-03-26)渡部行雄委員・持永和見 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「日本政府が発表し、総司令部が算定の基礎としているシベリア抑留者数は推定七十万名である。」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、外務省(日本)、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)、国立国会図書館
  22. 衆議院 内閣委員会 第2号(1981-03-26)渡部行雄委員・持永和見 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「外務省が出されたという数字でございますが、これも基礎は恐らく私どもの方で出した数字だと思います」 原典 照合済み ↩
    関連: 外務省(日本)、厚生省、国立国会図書館
  23. 衆議院 内閣委員会 第2号(1981-03-26)渡部行雄委員・持永和見 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「各作業大隊の幹部あるいは帰還者の方々、そういった方々につきまして各作業大隊ごとに何人ぐらいの人がおられたかということをずっと積み上げて計算したものでございます。」 原典 照合済み ↩
    関連: 国立国会図書館
  24. 参議院 社会労働委員会 第9号(1991-04-23)高桑栄松委員・岸本正裕 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「日本にいらっしゃいます留守家族の方々からまだ帰ってこないということで、未帰還者の調査依頼といいましょうか届けが出されたわけでございまして、そういうものをまた逆の面から、そういう数字と帰還者からの情報と…」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生省、国立国会図書館
  25. 参議院 総務委員会 第11号(2006-12-14)有光健参考人・荒井和夫 厚生労働大臣官房審議官(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「復員担当部署が、昭和二十一年以降帰還したシベリアからの抑留者の皆さん方の帰還時に状況を聴取するとか、また留守家族からの未帰還者届などに基づいて調査した結果を積み上げてございます。」 原典 照合済み ↩
    関連: 国立国会図書館
  26. 参議院 厚生労働委員会 第10号(2015-05-12)川田龍平委員・谷内繁 厚生労働大臣官房審議官(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「病弱のため旧ソ連地域での抑留後、旧満州や北朝鮮に送られた方については、これらの差である約四万七千人と推計しているところでございます。」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、満洲(中国東北部)、国立国会図書館
  27. ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)(厚生労働省、「抑留中死亡者について」の節(4)): 「(4)病弱のため入ソ後、旧満州・北朝鮮に送られた者等 約 47,000人」 原典 照合済み ↩
    関連: 満洲(中国東北部)、厚生労働省
  28. 参議院 社会労働委員会 第9号(1991-04-23)高桑栄松委員・岸本正裕 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「いろいろな数字がございますので、私もどれが絶対正しいんだということは申し上げられないんでございますけれども、厚生省といたしましては、このようにして推計をした数字でございますので、実情とそれほど大きな違…」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生省、国立国会図書館
  29. 参議院 総務委員会 第11号(2006-12-14)有光健参考人・荒井和夫 厚生労働大臣官房審議官(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「ソ連地域は五十六万一千人です」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、モンゴル、厚生労働省、国立国会図書館
  30. 参議院 総務委員会 第11号(2006-12-14)有光健参考人・荒井和夫 厚生労働大臣官房審議官(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「旧ソ連地域は四十六万一千人です」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、国立国会図書館
  31. 参議院 総務委員会 第11号(2006-12-14)有光健参考人・荒井和夫 厚生労働大臣官房審議官(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「抑留中死亡された方々は五万五千人、旧ソ連地域は五万三千人」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、国立国会図書館
  32. 参議院 総務委員会 第11号(2006-12-14)有光健参考人・荒井和夫 厚生労働大臣官房審議官(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「旧満州地域から約四十四万一千七百人、北朝鮮地域から約六万六千人、樺太・千島地域から約六万七千三百人というふうに推計してございます。」 原典 照合済み ↩
    関連: 満洲(中国東北部)、国立国会図書館
  33. 衆議院 内閣委員会 第2号(1981-03-26)渡部行雄委員・持永和見 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「この数字に対してソ連側は終戦直後五十九万四千名の数字を抑留者総数かのように発表した。しかしこれは一九四五年九月十二日の発表であって、その後一九四六年春頃迄にどれだけ入ソしたかは明らかにされていない。」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、外務省(日本)、国立国会図書館
  34. 参議院 社会労働委員会 第9号(1991-04-23)高桑栄松委員・岸本正裕 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「キリチェンコ東洋学研究所の部長さんは捕虜五十九万四千人」 原典 照合済み ↩
    関連: 国立国会図書館
  35. 参議院 社会労働委員会 第9号(1991-04-23)高桑栄松委員・岸本正裕 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「ウラジミール・ガリツキー国防省研究員は捕虜が六十三万九千」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、国立国会図書館
  36. Серебренников С. В. Переписка японских военнопленных в лагерях НКВД—МВД СССР (1945—1956 гг.): обзор отечественной и зарубежной историографии // Научный диалог. 2018. № 1. С. 186—208. DOI: 10.24224/2227-1295-2018-1-186-208(Научный диалог(ロシアの学術誌)、p.2): 「по разным оценкам, от 540 до 610 тыс. бывших военнослужащих японской армии [Кузнецов, 2011, с. 580].」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、ロシア
  37. 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号(1991-03-12)川俣健二郎分科員(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「シベリア抑留者は六十三万九千六百三十五人」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、国立国会図書館
  38. 衆議院 外務委員会 第4号(1948-11-15)倭島英二 外務事務官の説明(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「ソ連復員当局は、昭和二十三年九月三十日現在、十六箇月間も引続いて果すことを怠つているということがソ連側へ指摘された。なお総司令部の復員当局の推定によりますと、ソ連地区になお四十七万以上の日本人が抑留さ…」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)、国立国会図書館
  39. 参議院 社会労働委員会 第9号(1991-04-23)高桑栄松委員・岸本正裕 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「死亡者八万三千五百九十一」 原典 照合済み ↩
    関連: 国立国会図書館
  40. 参議院 社会労働委員会 第9号(1991-04-23)高桑栄松委員・岸本正裕 厚生省援護局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「死亡者は六万二千、こうなっております」 原典 照合済み ↩
    関連: 国立国会図書館
  41. 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号(1991-03-12)川俣健二郎分科員(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「亡くなった方は四万六千八十二人」 原典 照合済み ↩
    関連: 国立国会図書館
  42. 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号(1991-03-12)川俣健二郎分科員(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「そしてその亡くなったほかに前線の収容所などで、もう既に遺骨でお帰りになった人が一万五千九百八十六人。」 原典 照合済み ↩
    関連: 国立国会図書館
  43. 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号(1991-03-12)川俣健二郎分科員(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「墓地は三百四十一カ所、三万四千四百二十二柱」 原典 照合済み ↩
    関連: 国立国会図書館
  44. Серебренников С. В. Переписка японских военнопленных в лагерях НКВД—МВД СССР (1945—1956 гг.): обзор отечественной и зарубежной историографии // Научный диалог. 2018. № 1. С. 186—208. DOI: 10.24224/2227-1295-2018-1-186-208(Научный диалог(ロシアの学術誌)、p.17): 「1. Японские военнопленные в СССР, 1945—1956 : сборник документов / сост. В. А. Гаврилов, Е. Л. Катас…」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、ロシア
  45. ロシア連邦政府等から提供された抑留者関係資料一覧(厚生労働省、資料一覧の表「個人別登録文書(死亡者分)」の行): 「氏名、出生日、出生地、住所、家族氏名、職業、階級、部隊名、捕虜となった場所、死亡場所、死亡日、死因、埋葬場所、個人資料の資料番号 平成5年12月 平成17年4~9月」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  46. ロシア連邦政府等から提供された抑留者関係資料一覧(厚生労働省、資料一覧の表「旧ソ連邦抑留者登録カード」の行): 「旧ソ連邦抑留者登録カード ロシア連邦 氏名、出生年、出生地、召集前の住所、民族、国籍、党籍、信仰、教育、職業、所属した軍、召集・志願の別、兵種、所属部隊、階級、職務、投降・非投降の別、日付及び場所 平…」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、ロシア、厚生労働省
  47. 衆議院 厚生労働委員会 第12号(2026-05-27)早稲田ゆき委員・上野賢一郎 厚生労働大臣(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「シベリア抑留については、女性抑留者を含む全体像や死亡者数、朝鮮人、台湾人を含めた実態把握がいまだ不十分であり、政府機関間でも数字にも差異があります。」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、国立国会図書館
  48. 衆議院 厚生労働委員会 第12号(2026-05-27)早稲田ゆき委員・上野賢一郎 厚生労働大臣(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「男女の別、あるいは朝鮮半島及び台湾出身者に関する記載のある資料は多くはないことから、抑留中死亡者のうち女性あるいは朝鮮半島出身者などの人数について把握することは困難だと考えております。」 原典 照合済み ↩
    関連: 国立国会図書館
  49. ロシア連邦政府等から提供された抑留者関係資料一覧(厚生労働省、資料一覧の表「旧ソ連邦抑留中死亡者名簿」の行): 「氏名、生年、民族、階級、死亡日、埋葬日、墓番号、区画番号 平成3年4月 平成19年4月 平成19年6月 平成20年1月」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、厚生労働省
  50. 衆議院 予算委員会 第15号(1991-02-21)兵藤長雄 外務省欧亜局長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「昭和三十四年に第一回の名簿、墓地が出てまいりまして、それ以後何回かその名簿、資料を受理をいたしております。」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、外務省(日本)、国立国会図書館
  51. ロシア連邦政府等から提供された資料について(厚生労働省、「個人別登録文書」の説明): 「旧ソ連邦抑留者個人別登録文書は主として、抑留者の氏名や出身地などを聞き取ったアンケート、カルテ、死亡証書、埋葬証書、その他事務関係書類等によって構成されています。」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、厚生労働省
  52. ロシア連邦政府等から提供された資料について(厚生労働省、「(2)聞き取り時の誤記」): 「資料の中には訛りの強い日本人の発音を、それまで日本語に接したことのないソ連兵が聞き取り、アンケートに記入したことによると思われる誤記が散見されます。」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、厚生労働省
  53. ロシア連邦政府等から提供された抑留者関係資料一覧(厚生労働省、資料一覧の表「裁判記録(帰還者分)」の行): 「裁判記録(帰還者分) ロシア連邦 氏名、生年、出身地、職業、学歴、逮捕理由、判決内容、判決日、刑期、名誉回復年月日 平成9年12月」 原典 照合済み ↩
    関連: ロシア、厚生労働省
  54. 衆議院 予算委員会第二分科会 第2号(1992-03-12)村瀬松雄 厚生省援護局業務第一課長(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「旧ソ連政府から提供されましたのは、埋葬地ごとに埋葬者の姓名それから生年、当時の軍の階級及び死亡年月日が記載されております約三万八千人の名簿と当時の埋葬地付近の地図など」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、厚生省、国立国会図書館
  55. ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)(厚生労働省、ページ冒頭の説明): 「平成3年、当時のゴルバチョフ・ソ連邦大統領が訪日した際、日本側へ約3万7千人分の旧ソ連邦抑留中死亡者の名簿が提供されたのを皮切りに、様々な資料がロシア連邦政府等から提供されています。」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、ソビエト連邦(ソ連)、ロシア、厚生労働省
  56. 参議院 厚生労働委員会 第4号(2015-03-31)谷内繁 厚生労働大臣官房審議官(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「うち三万八千二百八十人を特定するとともに、合計一万七千八百一柱の御遺骨を収容したところでございます」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省、国立国会図書館
  57. 衆議院 安全保障委員会 第6号(2015-04-16)橋本岳 厚生労働大臣政務官(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「これは旧ソ連とモンゴルも含んでおります、提供された資料と厚生労働省が保有する資料を照合し、身元が特定された数は、累計で三万九千二百十八人」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、モンゴル、厚生労働省、国立国会図書館
  58. 衆議院 安全保障委員会 第6号(2015-04-16)橋本岳 厚生労働大臣政務官(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「なお、平成二十六年度では九百三十八人となっております」 原典 照合済み ↩
    関連: 国立国会図書館
  59. 強制抑留の実態調査等に関する取組状況(令和5年度)(厚生労働省(政府の基本方針に基づく公表)、p.1): 「40,966 人 38,730 人」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  60. 強制抑留の実態調査等に関する取組状況(令和5年度)(厚生労働省(政府の基本方針に基づく公表)、p.1): 「令和5年度中に、資料の特定に至っ た抑留中死亡者は 127 人となった。」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  61. 強制抑留の実態調査等に関する取組状況(令和7年度)(厚生労働省(政府の基本方針に基づく公表)、p.1): 「令和7年度に個人を特定し た抑留中死亡者は 93 人となった。また、特定した抑留中死亡者について、地方公共 団体の協力を得て、88 人(前年度までに特定できた者を含む)の遺族の所在を確認し」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  62. 強制抑留の実態調査等に関する取組状況(令和7年度)(厚生労働省(政府の基本方針に基づく公表)、p.1): 「厚生労働省は、ロシア連邦政府等から提供された死亡者名簿や抑留者登録カード 等の資料について、日本側資料で把握している抑留中死亡者と氏名、生年、出生地 等を照合して、抑留中死亡者の特定作業を行っており」 原典 照合済み ↩
    関連: ロシア、厚生労働省
  63. 参議院 厚生労働委員会 第3号(2022-11-01)加藤勝信 厚生労働大臣(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「令和二年四月から令和四年九月までに身元を特定できた件数は三百四十五件ということでございます。」 原典 照合済み ↩
    関連: 国立国会図書館
  64. 参議院 厚生労働委員会 第3号(2022-11-01)加藤勝信 厚生労働大臣(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「これまで約五万五千人のシベリア抑留中死亡者のうち約四万人の身元を確定をしているところでございます。」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、国立国会図書館
  65. 衆議院 厚生労働委員会 第12号(2026-05-27)早稲田ゆき委員・上野賢一郎 厚生労働大臣(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「約四万一千人の個人を特定しておりまして」 原典 照合済み ↩
    関連: 国立国会図書館
  66. ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)(厚生労働省、ページ冒頭の4.): 「ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料の写しの交付をご希望される抑留中死亡者のご遺族、抑留経験者、抑留経験者のご家族の方は以下をご覧の上、ご申請ください。なお、手数料は無料です。」 原典 照合済み ↩
    関連: ロシア、厚生労働省
  67. 参議院 総務委員会 第11号(2006-12-14)有光健参考人・荒井和夫 厚生労働大臣官房審議官(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「現在まで厚生労働省の方に約四万七千人ほどの名簿が届いているわけですけれども、これもまあ一度に全部ということではなくて少しずつ、八回ぐらいに分かれて届いております。」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省、全国抑留者補償協議会、国立国会図書館
  68. 参議院 総務委員会 第11号(2006-12-14)有光健参考人・荒井和夫 厚生労働大臣官房審議官(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「その厚生労働省が持っている以外の名簿も御自分で全部入力をされて、現在ホームページで四万八千人を超える名簿を公開をしておられます」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省、国立国会図書館
  69. 参議院 厚生労働委員会 第4号(2015-03-31)谷内繁 厚生労働大臣官房審議官(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「うち三万八千二百八十人を特定するとともに、合計一万七千八百一柱の御遺骨を収容したところでございます」 原典 照合済み ↩
    関連: 国立国会図書館
  70. 衆議院 安全保障委員会 第6号(2015-04-16)橋本岳 厚生労働大臣政務官(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「平成三年度から遺骨収集を実施しておりますが、その収容した御遺骨の柱数は、累計で一万九千四百四十五柱、平成二十六年度で百四十三柱となっております」 原典 照合済み ↩
    関連: 国立国会図書館
  71. 参議院 厚生労働委員会 第3号(2022-11-01)加藤勝信 厚生労働大臣(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「約二・二万柱の御遺骨の収容もさせていただいたところでございます」 原典 照合済み ↩
    関連: 国立国会図書館
  72. 強制抑留の実態調査等に関する取組状況(令和5年度)(厚生労働省(政府の基本方針に基づく公表)、p.1): 「(遺骨の収容)収容遺骨数※:20,264 柱」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  73. 戦没者の遺骨収集事業の取組状況について(令和8年度第1回有識者会議 資料1)(厚生労働省、p.11): 「・収容遺骨概数 20,160柱」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  74. 戦没者の遺骨収集事業の取組状況について(令和8年度第1回有識者会議 資料1)(厚生労働省、p.12): 「・収容遺骨概数 1,800柱」 原典 照合済み ↩
    関連: モンゴル、厚生労働省
  75. 戦没者の遺骨収集事業の取組状況について(令和8年度第1回有識者会議 資料1)(厚生労働省、p.12): 「・収容遺骨数 0柱」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  76. 戦没者の遺骨収集事業の取組状況について(令和8年度第1回有識者会議 資料1)(厚生労働省、p.12): 「・ウズベキスタン国内に13か所の埋葬地情報を ・令和9年1月に埋葬地調査等に」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  77. 戦没者の遺骨収集事業の取組状況について(令和8年度第1回有識者会議 資料1)(厚生労働省、p.12): 「キスタン国内での遺骨収集の許可が得られない」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  78. 戦没者の遺骨収集事業の取組状況について(令和8年度第1回有識者会議 資料1)(厚生労働省、p.12): 「宗教上の理由により、ウズベ」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  79. 戦没者の遺骨収集事業の取組状況について(令和8年度第1回有識者会議 資料1)(厚生労働省、p.11): 「(ウズベギスタンを ・戦没者概数 53,000人 (ロシア) (ロシア) 除く)」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、ロシア、厚生労働省
  80. 戦没者の遺骨収集事業の取組状況について(令和8年度第1回有識者会議 資料1)(厚生労働省、p.12): 「・戦没者概数 2,000人」 原典 照合済み ↩
    関連: モンゴル、厚生労働省
  81. 戦没者の遺骨収集事業の取組状況について(令和8年度第1回有識者会議 資料1)(厚生労働省、p.12): 「・戦没者数 812人」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  82. 強制抑留の実態調査等に関する取組状況(令和5年度)(厚生労働省(政府の基本方針に基づく公表)、p.1): 「旧ソ連地域 約 53,000 人」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、厚生労働省
  83. 戦没者の遺骨収集事業の取組状況について(令和8年度第1回有識者会議 資料1)(厚生労働省、p.6): 「ロシアにおける遺骨収集事業は、2国間の協定に基づき、人道的観点に立脚してこれまで実施してきているが、ロシアによるウク ライナ侵攻を受け、事業の実施が困難な状況が続いている。」 原典 照合済み ↩
    関連: ロシア、ロシア・ウクライナ戦争、厚生労働省
  84. 戦没者の遺骨収集事業の取組状況について(令和8年度第1回有識者会議 資料1)(厚生労働省、p.6): 「令和7年9月に危険情報の内容が一部改訂されたものの、渡航中止勧告 は維持され、ロシアへの渡航を控えることが基本であることに変わりはなく」 原典 照合済み ↩
    関連: ロシア、厚生労働省
  85. 参議院 厚生労働委員会 第3号(2022-11-01)加藤勝信 厚生労働大臣(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「現在、外務省から渡航中止勧告が発出されているため、シベリア抑留中死亡者に係る資料の取得のためのロシアでの現地調査、これ、現地でいろいろ見ながら、この資料、この資料とやっていくわけでありますから、これは…」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、ロシア、外務省(日本)、国立国会図書館
  86. 強制抑留の実態調査等に関する取組状況(令和5年度)(厚生労働省(政府の基本方針に基づく公表)、p.1): 「厚生労働省は、令和5年 11 月に、モンゴル国立中央公文書館より抑留者に関する 資料約 500 枚を取得した。また、ロシア連邦については、現地の公文書館等からの資 料の収集は困難であったものの、現地大…」 原典 照合済み ↩
    関連: モンゴル、ロシア、厚生労働省
  87. 強制抑留の実態調査等に関する取組状況(令和7年度)(厚生労働省(政府の基本方針に基づく公表)、p.1): 「特定埋葬地数:233 箇所、遺骨収容済み埋葬地数:214 箇所」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  88. 強制抑留の実態調査等に関する取組状況(令和7年度)(厚生労働省(政府の基本方針に基づく公表)、p.2): 「DNA 鑑定実施数:2,734 件、伝達遺骨数:1,248 柱」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  89. 戦没者の遺骨収集事業の取組状況について(令和8年度第1回有識者会議 資料1)(厚生労働省、p.6): 「・ 55埋葬地の名簿登載者数(令和8年7月末時点) 4,742名」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  90. ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)(厚生労働省、「抑留中死亡者について」の節): 「昭和20年8月9日以来の旧ソ連軍の侵攻により、旧日本軍人等が旧ソ連またはモンゴル人民共和国(当時)の地域において、強制抑留されました。」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、ソ連軍、モンゴル人民共和国、厚生労働省
  91. 衆議院 外務委員会 第4号(1948-11-15)倭島英二 外務事務官の説明(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「昭和二十一年十二月十九日の連合軍司令官とソビエトとの間の協定によつて規定されている一箇月五万の日本人の復員」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)、国立国会図書館
  92. 衆議院 外務委員会 第4号(1948-11-15)倭島英二 外務事務官の説明(国立国会図書館 国会会議録検索システム(発言は各発言者)): 「復員作業は二十二年の十二月一日から今年の五月まで中止せられた」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、外務省(日本)、国立国会図書館
  93. 日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言・御署名原本(学習コンテンツ)(国立公文書館、解説文): 「昭和31年(1956)10月19日、日本はソ連との共同宣言に調印しました。同年12月12日に批准され…」(要約が許されていない原典のため短く掲載) 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、国立公文書館、日ソ共同宣言
  94. 日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言・御署名原本(学習コンテンツ)(国立公文書館、共同宣言 第5項): 「5 ソヴィエト社会主義共和国連邦において有罪の判決を受けたすべての日本人は、この共同宣言の効力発生と…」(要約が許されていない原典のため短く掲載) 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、日ソ共同宣言、国立公文書館
  95. ロシア連邦政府から引き渡された「旧ソ連邦抑留中死亡者名簿」について(報道発表資料)(厚生労働省、本文冒頭): 「平成20年4月14日、モスクワにおける日露外相会談時に、ラヴロフ外務大臣から高村外務大臣に対して、「旧ソ連邦抑留中死亡者名簿」134名分が引き渡されました。」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、厚生労働省
  96. ロシア連邦政府から引き渡された「旧ソ連邦抑留中死亡者名簿」について(報道発表資料)(厚生労働省、2.調査結果): 「134名のうち、新たな死亡者と判明したもの5名、平成3年に提供された名簿と重複であったもの128名、ドイツ人1名。」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  97. 戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法(平成二十二年法律第四十五号)(デジタル庁 e-Gov法令検索(法令API v2)): 「法令番号: 平成二十二年法律第四十五号 公布日: 2010-06-16」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留
  98. 強制抑留の実態調査等に関する取組状況(令和7年度)(厚生労働省(政府の基本方針に基づく公表)、p.1): 「(平成 23 年8月5日閣議 決定。以下「基本方針」という。)に基づき、令和7年度の強制抑留の実態調査等に関する 取組状況を以下のとおり取りまとめたので公表する。」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  99. 強制抑留の実態調査等に関する取組状況(令和7年度)(厚生労働省(政府の基本方針に基づく公表)、p.1): 「厚生労働省は、平成 27 年4月に、ロシア連邦政府等から提供されている資料の全 てに係る概要と主な記載事項等を公表した。以後、資料の翻訳・照合調査・解析を行 い、原則として毎月、個人を特定した抑留中死…」 原典 照合済み ↩
    関連: ロシア、厚生労働省
  100. 強制抑留の実態調査等に関する取組状況(令和7年度)(厚生労働省(政府の基本方針に基づく公表)、p.1): 「未提供又は情報不足により消息が特定できない約 160 名の名簿を作成し、令和8年1 月に、モンゴル国政府関係機関へ手交し」 原典 照合済み ↩
    関連: モンゴル、厚生労働省
  101. 戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法(平成二十二年法律第四十五号)(デジタル庁 e-Gov法令検索(法令API v2)): 「この法律において「戦後強制抑留者」とは、昭和二十年八月九日以来の戦争の結果、同年九月二日以後ソヴィエト社会主義共和国連邦又はモンゴル人民共和国の地域において強制抑留された者をいう。」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、ソビエト連邦(ソ連)、モンゴル人民共和国
  102. 戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法(平成二十二年法律第四十五号)(デジタル庁 e-Gov法令検索(法令API v2)): 「昭和二十三年十二月三十一日まで 二五〇、〇〇〇円 昭和二十四年一月一日から昭和二十五年十二月三十一日まで 三五〇、〇〇〇円 昭和二十六年一月一日から昭和二十七年十二月三十一日まで 七〇〇、〇〇〇円 昭…」 原典 照合済み ↩
  103. 強制抑留の実態調査等に関する取組状況(令和7年度)(厚生労働省(政府の基本方針に基づく公表)、p.2): 「令和8年3月末までに保存期間が満了し、厚生労働省において国立公文書館への移管 を進めている資料 ・ 旧ソ連邦抑留中死亡者名簿(翻訳)(約 20 冊) ・ 旧ソ連邦抑留者登録カード(DVD 約 90 枚…」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、ソビエト連邦(ソ連)、ロシア、厚生労働省、国立公文書館
  104. 国立公文書館デジタルアーカイブ 所蔵資料検索 結果(キーワード「ソ連邦抑留」、page=1〜3)(国立公文書館、検索結果 ページ1 冒頭の件数表示): 「検索結果数: 243 件 取得件数: 243 ## 種別ごとの件数 173件 | 簿冊 67件 | 件名 3件 | 資料群」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、国立公文書館
  105. 国立公文書館デジタルアーカイブ 所蔵資料検索 結果(キーワード「ソ連邦抑留」、page=1〜3)(国立公文書館、階層(親)ごとの件数): 「108件 | 行政文書 > 厚生労働省 > 戦没者等援護関係資料 > 旧ソ連邦政府提供資料 > 1993年度提供資料」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、厚生労働省、国立公文書館
  106. 国立公文書館デジタルアーカイブ 所蔵資料検索 結果(キーワード「ソ連邦抑留」、page=1〜3)(国立公文書館、検索結果 104番): 「旧ソ連邦政府等提供資料(1993年度) ソ連邦抑留死亡者個人資料 104 36052~36401 | 平23厚労07327100 | 厚生労働省 | 平成 23 | 厚生省 | 平成05年 - 平成0…」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、ソビエト連邦(ソ連)、厚生省、厚生労働省、国立公文書館
  107. 国立公文書館デジタルアーカイブ 所蔵資料検索 結果(キーワード「ソ連邦抑留」、page=1〜3)(国立公文書館、検索結果 130番): 「旧ソ連邦抑留者登録カード 4 | 平28厚労E0004100 | 厚生労働省 | 平成 28 | 厚生労働省社会・援護局援護・業務課調査資料室 | 平成21年 - 平成21年」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、厚生労働省、国立公文書館
  108. 国立公文書館デジタルアーカイブ 所蔵資料検索 結果(キーワード「ソ連邦抑留」、page=1〜3)(国立公文書館、階層(親)ごとの件数): 「18件 | 行政文書 > 厚生労働省 > 戦没者等援護関係資料 > ソ連邦抑留死亡者名簿(翻訳)」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、厚生労働省、国立公文書館
  109. 国立公文書館デジタルアーカイブ 所蔵資料検索 結果(キーワード「ソ連邦抑留」、page=1〜3)(国立公文書館、検索結果 111番): 「ソ連邦抑留死亡者名簿(翻訳) (9分冊の1) (ハバロフスク地方 その1) | 平27厚労08899100 | 厚生労働省 | 平成 27 | 厚生省 | 平成03年04月 - 平成03年04月」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、厚生省、厚生労働省、国立公文書館
  110. 強制抑留の実態調査等に関する取組状況(令和5年度)(厚生労働省(政府の基本方針に基づく公表)、p.2): 「※ これまでに移管した資料(令和6年3月末現在) ・ 旧ソ連邦抑留中死亡者名簿(翻訳)(18 冊)」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、国立公文書館、厚生労働省

主張と計算の根拠(51件)

本文の「根拠」の印から、ここに移る。主張ごとに、材料の事実(番号は上の脚注)と、計算の式を載せた。式は公開前の検査で再計算し、データの集計はスクリプトを再実行して、記事の値と一致することを確かめた。

  1. シベリア抑留の数字を、数えている対象ごとに分ける ― 抑留57万5,000人・死亡5万5,000人・特定4万1,201人・未収容 約3万3,040柱(旧ソ連とモンゴルの概数の合計で、旧ソ連の値はウズベキスタン分を含む)

    見出し・言い切りの強さ: 言い切り ↩

    本文側の主張 根拠9 根拠31 根拠43

  2. 日本政府の抑留約57万5,000人・死亡約5万5,000人(いずれもモンゴルを含む)は、帰還者からの聞き取りなどを積み上げた厚労省の推計で、厚労省は死亡者数について修正の可能性を認めている

    値・言い切りの強さ: 言い切り ↩

    根拠の事実 [1] [2] [3] [23] [4]

    本文側の主張 根拠9

  3. ソ連・ロシア側と原文で帰属できる抑留者数のうち、点で示された数字は、1945年のソ連の発表とキリチェンコの59万4,000人(同じ大もとの可能性があり、2つを別々の裏付けとは数えない)と、ガリツキーの63万9,000人の2種類で、どちらも日本政府の57万5,000人、モンゴルを除いた56万1,000人より多い。一方、クズネツォフが「諸説」としてまとめた54万〜61万人は、下限の54万人が日本政府の数より小さい。この幅は誰の推計を集めたか…

    範囲・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [1] [2] [33] [34] [35] [37] [36] [39] [40] [41] [42] [29]

    比べる数字の違い 数え方・対象の範囲・定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: 表の数字は、数えた機関、時点、範囲(モンゴルを含むか、前線の収容所での死亡を含むか、など)、数え方がそれぞれ違うか不明で、差をそのまま誤差や過少・過大とは読めない。

    本文側の主張 根拠12 根拠13 根拠14 根拠16 根拠17 根拠19 根拠20 根拠15

  4. 食い違いについて原典が具体的に書いているのは、1950年の外務省の調書が、当時の日本政府の推定70万人と比べて、ソ連の59万4,000人は1945年9月12日の発表で、その後に何人がソ連に入ったかは明らかにされていない、とした点だけである。これは70万人との差についての記述で、今の57万5,000人は59万4,000人より小さいので、その後の入ソを考えに入れると差はむしろ広がり、今の数との食い違いの説明には使えない。範囲の違いが原文で確…

    不在・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [33] [21] [1] [36]

    本文側の主張 根拠25

  5. 個人を特定できた死亡者は2025年度末で4万1,201人で、累計は2023年度末から2年間で235人増えた。年度内の特定数は2023年度127人・2025年度93人で、2014年度の938人の7分の1を下回るが、2023〜2025年度の3年だけで毎年減り続けているとは言えない。2008年の「身元が確認できた者」3万2,009人とは数え方が同じか確かめられないので、2008年からの増え方は計算しない

    推移・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [59] [10] [9] [58] [60] [61]

    本文側の主張 根拠31 根拠29 根拠33 根拠34

  6. 遺骨の数は資料ごとに範囲が違う。令和7年度の報告は収容を2万264柱(2025年度末)とし、戦友らが持ち帰った約1,700柱を別に挙げている。2026年7月末の有識者会議の資料は、収容を地域別の概数で計約2万1,960柱(2万264柱に約1,700柱を足した数と概数としてほぼ同じ)、未収容を旧ソ連3万2,840柱(ウズベキスタンの812柱を含むと注記)、モンゴル200柱としている(旧ソ連とモンゴルは概数、ウズベキスタンは概数の表示が無い…

    差・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [13] [14] [73] [74] [75] [15] [16] [17] [18] [79] [80] [81]

    計算

    比べる数字の違い 単位・数え方・対象の範囲・定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: 未収容の数は3地域とも、戦没者の数(人、旧ソ連とモンゴルは概数、ウズベキスタンは概数の表示が無い812人)から収容数(柱)を引いた値と一致し(旧ソ連5万3,000−2万160=3万2,840、モンゴル2,000−1,800=200、ウズベキスタン812−0=812)、1人の死亡者を1柱とみなした差し引きとみられる

    本文側の主張 根拠36 根拠42 根拠38 根拠44 根拠46

  7. 表1 何を数えた数字か(1行に1つの数え方。人と柱、推計と確定を分け、行どうしの引き算や比較は本文で違いを示した箇所だけで行う)

    定義・言い切りの強さ: 言い切り ↩

    根拠の事実 [1] [5] [2] [8] [9] [10] [13] [14] [15] [16] [17]

    表の行

  8. 厚労省の答弁によると、「旧満州・北朝鮮へ送られた者等」の約4万7,000人は、総数57万5,000人から死亡5万5,000人と帰還47万3,000人を引いた残りで、独立に数えた値ではない

    差・言い切りの強さ: 言い切り ↩

    根拠の事実 [26] [27] [1] [2] [5]

    計算
  9. 厚労省のページは、2026年10月27日の取得時点でも57万5,000人と5万5,000人を示している

    値・言い切りの強さ: 言い切り ↩

    根拠の事実 [1] [2] [23] [24] [4] [3]

  10. 表2 抑留者数(人)。数えた機関・時点・範囲が違う場合があり、差をそのまま誤差とは読めない

    比較・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [20] [1] [29] [33] [34] [35] [37] [36]

    比べる数字の違い 数え方・対象の範囲・定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: 表の数字は、数えた機関、時点、範囲(モンゴルを含むか、前線の収容所での死亡を含むか、など)、数え方がそれぞれ違うか不明で、差をそのまま誤差や過少・過大とは読めない。

    表の行 [20] [1] [29] [33] [34] [35] [37] [36](理由を付けて外した事実 2 件)

  11. 表3 死亡者数(人と柱を分ける)。数えた範囲が違う場合があり、差をそのまま誤差とは読めない

    比較・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [2] [31] [39] [40] [41] [42] [43]

    比べる数字の違い 単位・数え方・対象の範囲・定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: 表の数字は、数えた機関、時点、範囲(モンゴルを含むか、前線の収容所での死亡を含むか、など)、数え方がそれぞれ違うか不明で、差をそのまま誤差や過少・過大とは読めない。

    表の行 [2] [31] [39] [40] [41] [42] [43](理由を付けて外した事実 5 件)

  12. ソ連・ロシア側と帰属できる抑留者数は、1945年9月12日のソ連の発表とキリチェンコの59万4,000人、ガリツキーの63万9,000人、クズネツォフの整理の54万〜61万人で、全部を並べた幅は54万〜63万9,000人になり、日本政府の57万5,000人も、モンゴルを除いた56万1,000人も数の上ではこの幅の内側に入るが、下限の54万人は、クズネツォフが「諸説」としてまとめた幅の端で、誰の推計を集めたかは原文に無く、日本側の推計を含…

    範囲・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [33] [34] [35] [36] [1] [29]

    計算
    • データの集計 compute/ru-thousands.mjs の kuznetsov_low = 540,000人 (D2)
    • データの集計 compute/ru-thousands.mjs の kuznetsov_high = 610,000人 (D3)

    比べる数字の違い 数え方・対象の範囲・定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: 表の数字は、数えた機関、時点、範囲(モンゴルを含むか、前線の収容所での死亡を含むか、など)、数え方がそれぞれ違うか不明で、差をそのまま誤差や過少・過大とは読めない。

  13. 出所未確認の1991年の新聞報道の63万9,635人を加えても、これも日本政府の57万5,000人より多く、幅の上限が63万9,635人に上がるだけで、点の数字がどれも日本政府の数より多いという関係は変わらない

    範囲・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [37] [36] [1] [33] [34] [35]

    計算
    • データの集計 compute/ru-thousands.mjs の kuznetsov_low = 540,000人 (D2)
    • データの集計 compute/ru-thousands.mjs の kuznetsov_high = 610,000人 (D3)

    比べる数字の違い 数え方・対象の範囲・定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: 表の数字は、数えた機関、時点、範囲(モンゴルを含むか、前線の収容所での死亡を含むか、など)、数え方がそれぞれ違うか不明で、差をそのまま誤差や過少・過大とは読めない。

  14. 点で示されたソ連・ロシア側の数字(1945年のソ連の発表とキリチェンコの59万4,000人、ガリツキーの63万9,000人)だけで比べると、日本政府の57万5,000人も56万1,000人もそのどれより小さく、日本政府の数を下回るのはクズネツォフの整理の下限54万人だけなので、「内側にある」という見え方も、点の数字だけを見たときの「ソ連・ロシア側のほうが多い」という見え方も、誰の推計かが分からない諸説の幅をどう扱うかに依っている

    比較・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [33] [34] [35] [36] [1] [29]

    計算
    • データの集計 compute/ru-thousands.mjs の kuznetsov_low = 540,000人 (D2)

    比べる数字の違い 数え方・対象の範囲・定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: 表の数字は、数えた機関、時点、範囲(モンゴルを含むか、前線の収容所での死亡を含むか、など)、数え方がそれぞれ違うか不明で、差をそのまま誤差や過少・過大とは読めない。

  15. クズネツォフの幅は、ソ連領内に収容された元日本軍人の数でモンゴルを含まないので、範囲を合わせて比べる相手は日本政府のモンゴルを除いた56万1,000人で、これも54万〜61万人の内側に入るが、この幅は諸説を集めたもので日本側の推計を含む可能性があるので一致の裏付けにはならず、日本政府の数は元軍人に限るとは書かれていないので、軍人か民間人かの範囲までそろっているとも言えない

    比較・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [36] [29] [1]

    計算
    • データの集計 compute/ru-thousands.mjs の kuznetsov_low = 540,000人 (D2)
    • データの集計 compute/ru-thousands.mjs の kuznetsov_high = 610,000人 (D3)

    比べる数字の違い 対象の範囲・定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: クズネツォフの幅は、ソ連領内に収容された元日本軍人の数でモンゴルを含まないので、範囲を合わせて比べる相手は日本政府のモンゴルを除いた56万1,000人で、これも54万〜61万人の内側に入るが、この幅は諸説を集めたもので日本側の推計を含む可能性があるので一致の裏付けにはならず、日本政府の数は元軍人に限るとは書かれていないので、軍人か民間人かの範囲までそろっているとも言えない

  16. 死亡者数でソ連・ロシア側と帰属できるのは、キリチェンコの8万3,591人とガリツキーの6万2,000人の2つで、幅は6万2,000〜8万3,591人になり、日本政府の5万5,000人も、モンゴルを除いた5万3,000人も、この幅より小さい

    範囲・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [39] [40] [2] [31]

    比べる数字の違い 数え方・対象の範囲・定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: 表の数字は、数えた機関、時点、範囲(モンゴルを含むか、前線の収容所での死亡を含むか、など)、数え方がそれぞれ違うか不明で、差をそのまま誤差や過少・過大とは読めない。

  17. 出所未確認の新聞報道を加える場合、別枠の1万5,986人を除いた4万6,082人なら幅は4万6,082〜8万3,591人になって5万5,000人をまたぎ、足した6万2,068人なら幅は6万2,000〜8万3,591人のままで、5万5,000人が幅をまたぐのは、元の資料が分からない4万6,082人を、別枠を除いたまま入れた場合だけである

    範囲・言い切りの強さ: 条件付き ↩

    根拠の事実 [41] [42] [39] [40] [2]

    計算

    比べる数字の違い 数え方・対象の範囲・定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: 表の数字は、数えた機関、時点、範囲(モンゴルを含むか、前線の収容所での死亡を含むか、など)、数え方がそれぞれ違うか不明で、差をそのまま誤差や過少・過大とは読めない。

  18. 1991年の報道の4万6,082人と1万5,986人を足すと6万2,068人になるが、報道が両者を別枠にしている以上、足してよいかは元の資料の定義しだいである

    値・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [41] [42]

    計算
  19. 抑留者数については、ソ連・ロシア側と帰属できる点の数字はどれも日本側の57万5,000人より多く、1950年の外務省の調書は59万4,000人を1945年9月12日の発表で、その後どれだけ入ソしたかは明らかにされていないとしているので、59万4,000人にはその後の入ソが入っていないと読めるが、59万4,000人の2つは同じ大もとから出ている可能性があり、1つと数えると点の数字は59万4,000人と63万9,000人の2種類だけで、クズ…

    比較・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [1] [29] [33] [34] [35] [36]

    比べる数字の違い 数え方・対象の範囲・定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: 表の数字は、数えた機関、時点、範囲(モンゴルを含むか、前線の収容所での死亡を含むか、など)、数え方がそれぞれ違うか不明で、差をそのまま誤差や過少・過大とは読めない。

  20. 死亡者数については、ソ連・ロシア側と帰属できる2つの数字がどちらも日本側の5万5,000人より多く、新聞報道の数字を入れるかどうかはこの関係を左右しないが、差が数え方の違い(前線の収容所での死亡を含むか、モンゴルを含むか、など)から来るのかは、2人の数字の定義が手元の原典に無いので決められない

    比較・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [39] [40] [2] [41] [42]

    比べる数字の違い 数え方・対象の範囲・定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: 表の数字は、数えた機関、時点、範囲(モンゴルを含むか、前線の収容所での死亡を含むか、など)、数え方がそれぞれ違うか不明で、差をそのまま誤差や過少・過大とは読めない。

  21. キリチェンコの59万4,000人は1945年9月12日のソ連の発表と同じ数で、同じ大もとから出ている可能性があり、2つを独立した裏付けとは言えない

    比較・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [33] [34]

    比べる数字の違い 数え方・定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: キリチェンコの59万4,000人は1945年9月12日のソ連の発表と同じ数で、同じ大もとから出ている可能性があり、2つを独立した裏付けとは言えない

  22. ガリツキーの63万9,000人と1991年の報道の63万9,635人は千の位まで同じで、63万9,635人を千の位に四捨五入すると64万人になるので、63万9,000人はこれをそのまま四捨五入した値ではないが、両資料とも精度や丸め方、集計の時点を書いておらず、千未満の切り捨てのほか、集計した時点の違いや紹介のときの桁の省略でも、同じ系統の資料からこの程度の差は生じうるので、表示された値だけでは、同じ系統の資料かどうかも、どう丸めたかも判…

    差・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [37] [35]

    計算
    • [37] - [35] = 635人 (D17)
    • [37] - D17(635人) + 1000 = 640,000人 (D24)

    比べる数字の違い 対象の範囲・定義が違う数字を比べている。本文の説明: ガリツキーの63万9,000人と1991年の報道の63万9,635人は千の位まで同じで、63万9,635人を千の位に四捨五入すると64万人になるので、63万9,000人はこれをそのまま四捨五入した値ではないが、両資料とも精度や丸め方、集計の時点を書いておらず、千未満の切り捨てのほか、集計した時点の違いや紹介のときの桁の省略でも、同じ系統の資料からこの程度の差は生じうるので、表示された値だけでは、同じ系統の資料かどうかも、どう丸めたかも判定できない

  23. 死亡者でも、ガリツキーの6万2,000人と、報道の4万6,082人に別枠の1万5,986人を足した6万2,068人も千の位まで同じで(6万2,068人は千の位に四捨五入しても切り捨てても6万2,000人になるので、ガリツキーの数が千人単位に丸めた値なら、差は丸めの幅に収まる)、報道の数字がガリツキーと同じ系統の資料によっていて、別枠を足した値が死亡者の総数にあたる可能性があるが、報道の元の資料が無いので確かめられず、本稿は報道の数字をソ…

    差・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [40] [41] [42]

    計算
    • [41] + [42] = 62,068人 (D4)
    • D4(62,068人) - [40] = 68人 (D23)

    比べる数字の違い 対象の範囲・定義が違う数字を比べている。本文の説明: 死亡者でも、ガリツキーの6万2,000人と、報道の4万6,082人に別枠の1万5,986人を足した6万2,068人も千の位まで同じで(6万2,068人は千の位に四捨五入しても切り捨てても6万2,000人になるので、ガリツキーの数が千人単位に丸めた値なら、差は丸めの幅に収まる)、報道の数字がガリツキーと同じ系統の資料によっていて、別枠を足した値が死亡者の総数にあたる可能性があるが、報道の元の資料が無いので確かめられず、本稿は報道の数字をソ連・ロシア側の区分には入れない

  24. 表4 数字が食い違う理由の候補(原典が理由として書いているのは1だけで、それも1950年当時の推定70万人とソ連の59万4,000人の差についてで、今の57万5,000人との差の理由ではない。2の範囲の違いはクズネツォフの幅についてだけ原文で確かめられ、ほかの数字の範囲と3〜4は手元の原典では確かめられない仮説)

    因果・言い切りの強さ: 条件付き ↩

    根拠の事実 [33] [21] [1] [44] [2] [31] [27] [42] [23] [24] [4] [45] [46] [36]

    表の行

  25. このうち原典が違いの理由として書いているのは1だけで、それも1950年当時の日本政府の推定70万人とソ連の59万4,000人の差についての記述で、今の57万5,000人との差の理由としては書かれておらず、2の範囲の違いは、クズネツォフの幅についてはソ連領内の元日本軍人を数えモンゴルを含まないことが原文で確かめられるが、ほかのソ連側の数字については定義が手元に無く、3と4も手元の原典では確かめられない仮説である

    因果・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [33] [21] [1] [42] [27] [36]

  26. 1991年に受け取った名簿の人数は、1992年の答弁では約3万8,000人、厚労省のページでは約3万7,000人と書かれているが、どちらも千人単位の概数で丸め方が示されていないので、実数が違うとは言えない

    比較・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [54] [55]

    計算
    • ([54] - 500) - ([55] + 499) = 1人 (D19)
      2つとも千の位に四捨五入した値とした場合の実数の差の最小(3万7,500人と3万7,499人)
    • ([54] + 499) - ([55] - 500) = 1,999人 (D20)
      2つとも千の位に四捨五入した値とした場合の実数の差の最大(3万8,499人と3万6,500人)
    • [54] - 500 = 37,500人 (D21)
      約3万8,000人が四捨五入の値なら実数の下限
    • [55] + 999 = 37,999人 (D22)
      約3万7,000人が切り捨ての値なら実数の上限
  27. 2つとも千の位に四捨五入した値なら、実数の差は1〜1,999人のどこかにあるが、約3万8,000人が四捨五入、約3万7,000人が切り捨ての値なら、3万7,500〜3万7,999人のどれでも両方の表記になり、同じ人数でありうる(3万7,500人・3万7,999人や1〜1,999人は、丸め方を仮定して逆算した範囲の端で、名簿の人数の推計ではないので、一人単位のまま書いている)

    範囲・言い切りの強さ: 条件付き ↩

    根拠の事実 [54] [55]

    計算
    • ([54] - 500) - ([55] + 499) = 1人 (D19)
      2つとも千の位に四捨五入した値とした場合の実数の差の最小(3万7,500人と3万7,499人)
    • ([54] + 499) - ([55] - 500) = 1,999人 (D20)
      2つとも千の位に四捨五入した値とした場合の実数の差の最大(3万8,499人と3万6,500人)
    • [54] - 500 = 37,500人 (D21)
      約3万8,000人が四捨五入の値なら実数の下限
    • [55] + 999 = 37,999人 (D22)
      約3万7,000人が切り捨ての値なら実数の上限
  28. 表5 身元の特定の数(2008年の行は数え方が違う可能性があり、2013年度末以降の行と続けて比べない)

    定義・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [9] [8] [56] [57] [58] [59] [60] [10] [61]

    表の行

  29. 2008年の「身元が確認できた者」3万2,009人と2013年度以降の「特定」が同じ数え方かどうかは、手元の資料では確かめられないので、2008年からの増え方は計算しない

    定義・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [9] [8] [62] [56]

  30. 2014年度末の3万9,218人から2013年度末の3万8,280人を引くと938人で、同じ年の答弁が挙げた2014年度の特定数938人と一致し、2013年度末以降の数は同じ数え方の続きと読める

    差・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [58] [57] [56]

    計算

    比べる数字の違い 時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: 2014年度末の3万9,218人から2013年度末の3万8,280人を引くと938人で、同じ年の答弁が挙げた2014年度の特定数938人と一致し、2013年度末以降の数は同じ数え方の続きと読める

  31. 2023年度末の4万966人から2025年度末の4万1,201人まで、特定件数の累計は2年間で235人増えた

    推移・言い切りの強さ: 言い切り ↩

    根拠の事実 [59] [10]

    計算
  32. この2年間に過去の分の訂正や重複の除外が無かったとすれば、235人から2025年度の93人を引いた142人が2024年度の特定数になるが、その前提が成り立つかは、2024年度の年度内の特定数(令和6年度の取組状況の数字)と照らすまで決められない

    値・言い切りの強さ: 条件付き ↩

    根拠の事実 [59] [10] [61]

    計算
    • [10] - [59] = 235人 (D6)
    • D6(235人) - [61] = 142人 (D7)
  33. 厚労省の数字では、年度内に特定した人数は2014年度の938人に対し、2023年度は127人、2025年度は93人で、どちらも938人の7分の1(134人)を下回る

    推移・言い切りの強さ: 言い切り ↩

    根拠の事実 [58] [60] [61]

    計算
    • [58] / 7 = 134人 (D18)
  34. 2023〜2025年度の3年間は、2024年度を上の前提での142人とすると127人、142人、93人で増減があり、この3年だけからは毎年減り続けているとは言えない

    推移・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [60] [61]

    計算
    • D6(235人) - [61] = 142人 (D7)
    • [10] - [59] = 235人 (D6)
  35. 死亡者の推計5万5,000人を前提にすると、特定できていない人は約1万4,000人(推計が千人単位の概数なので、差も千人単位に丸めた)になるが、5万5,000人は推計で修正の可能性があり、特定数(確定値)とは数え方も違うので、この差は目安にとどまる

    差・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [3] [2] [10]

    計算

    比べる数字の違い 対象の範囲・定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: 死亡者の推計5万5,000人を前提にすると、特定できていない人は約1万4,000人(推計が千人単位の概数なので、差も千人単位に丸めた)になるが、5万5,000人は推計で修正の可能性があり、特定数(確定値)とは数え方も違うので、この差は目安にとどまる

  36. 収容した遺骨は2025年度末で2万264柱で、令和7年度の報告はこのほかに戦友らが持ち帰った約1,700柱を別に挙げている

    値・言い切りの強さ: 言い切り ↩

    根拠の事実 [13] [14]

  37. 表6 収容した遺骨(柱)。資料ごとに範囲が違い、戦友らが持ち帰った約1,700柱を含むかも違う場合がある

    比較・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [14] [69] [70] [71] [72] [13] [73] [74] [75]

    比べる数字の違い 対象の範囲・定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: 表6 収容した遺骨(柱)。資料ごとに範囲が違い、戦友らが持ち帰った約1,700柱を含むかも違う場合がある

    表の行

  38. 令和7年度の報告の2万264柱に、別に挙げた約1,700柱を足すと約2万1,964柱になり、有識者会議の資料の地域別の合計2万1,960柱と表示上は4柱しか違わないが、どちらも概数を含み、丸め前の差は決められないので、言えるのは概数としてほぼ一致することまでである

    比較・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [13] [14] [73] [74] [75]

    計算
    • [13] + [14] = 21,964remains (D9)
    • [73] + [74] + [75] = 21,960remains (D10)
    • D9(21,964remains) - D10(21,960remains) = 4remains (D11)

    比べる数字の違い 対象の範囲・定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: 令和7年度の報告の2万264柱に、別に挙げた約1,700柱を足すと約2万1,964柱になり、有識者会議の資料の地域別の合計2万1,960柱と表示上は4柱しか違わないが、どちらも概数を含み、丸め前の差は決められないので、言えるのは概数としてほぼ一致することまでである

  39. 有識者会議の資料の概数が戦友らの持ち帰った遺骨を含んでいる可能性はあるが、資料はそう書いておらず、確かめるには厚労省の内訳が要る

    定義・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [73] [14]

  40. 2013年度末の1万7,801柱に2014年度の143柱を足した1万7,944柱は、2014年度末の累計1万9,445柱より1,501柱少なく、2つの答弁が同じ範囲の累計だとすれば数がつながらない

    差・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [69] 同じ答弁で、2014年度に収容した遺骨は143柱。(原典: 衆議院 安全保障委員会 第6号(2015-04-16)橋本岳 厚生労働大臣政務官。本文に脚注の無い事実) [70]

    計算

    比べる数字の違い 定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: 2013年度末の1万7,801柱に2014年度の143柱を足した1万7,944柱は、2014年度末の累計1万9,445柱より1,501柱少なく、2つの答弁が同じ範囲の累計だとすれば数がつながらない

  41. 差がどこから来るかは答弁に書かれておらず、2つの数の範囲が違う可能性がある

    定義・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [69] [70]

  42. 有識者会議の資料は、2026年7月末の未収容の遺骨を、旧ソ連3万2,840柱、モンゴル200柱とし、ウズベキスタンの812柱は旧ソ連地域の統計に含むとしている

    値・言い切りの強さ: 言い切り ↩

    根拠の事実 [15] [16] [17] [18]

  43. ウズベキスタンの行の統計・実績の欄には「旧ソ連地域の統計・実績に含む」という注記があり、812柱は旧ソ連の3万2,840柱にすでに入っているので、未収容の合計は旧ソ連とモンゴルを足した約3万3,040柱で、これは概数どうしの合計で、一柱単位の総数ではない

    値・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [18] [15] [16] [17]

    計算
  44. 未収容の数は3地域とも、戦没者の数(人、旧ソ連とモンゴルは概数、ウズベキスタンは概数の表示が無い812人)から収容数(柱)を引いた値と一致し(旧ソ連5万3,000−2万160=3万2,840、モンゴル2,000−1,800=200、ウズベキスタン812−0=812)、1人の死亡者を1柱とみなした差し引きとみられる

    差・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [79] [73] [15] [80] [74] [16] [81] [75] [17]

    比べる数字の違い 単位・数え方・対象の範囲・定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: 未収容の数は3地域とも、戦没者の数(人、旧ソ連とモンゴルは概数、ウズベキスタンは概数の表示が無い812人)から収容数(柱)を引いた値と一致し(旧ソ連5万3,000−2万160=3万2,840、モンゴル2,000−1,800=200、ウズベキスタン812−0=812)、1人の死亡者を1柱とみなした差し引きとみられる

  45. この見方が正しいとすれば、未収容の数は、戦没者の推計が変われば同じだけ動く

    定義・言い切りの強さ: 条件付き ↩

    根拠の事実 [3] [79]

  46. この見方に立つと、未収容の数と組になる収容数は、令和7年度の報告の2万264柱(持ち帰りの約1,700柱を含まない)ではなく、この資料の地域別の計約2万1,960柱で、こちらは持ち帰りの約1,700柱を含む可能性があるが、資料はそう書いていない

    定義・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [13] [14] [73] [74] [75] [15] [16] [17]

    計算
  47. 厚労省は死亡者数を合計約5万5,000人(うちモンゴル約2,000人)とし、令和5年度の取組状況では旧ソ連地域を約5万3,000人としていて、有識者会議の資料の注記どおり812人は旧ソ連の5万3,000人に入っているので、この資料の旧ソ連とモンゴルの戦没者の表示された値の和もこの合計と合うが、5万3,000人と2,000人はどちらも概数で丸め方が示されていないので、合うのは表示された値どうしで、一人単位で一致するかまでは言えない

    差・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [2] [82] [79] [80] [81] [18]

    計算

    比べる数字の違い 対象の範囲・定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: 厚労省は死亡者数を合計約5万5,000人(うちモンゴル約2,000人)とし、令和5年度の取組状況では旧ソ連地域を約5万3,000人としていて、有識者会議の資料の注記どおり812人は旧ソ連の5万3,000人に入っているので、この資料の旧ソ連とモンゴルの戦没者の表示された値の和もこの合計と合うが、5万3,000人と2,000人はどちらも概数で丸め方が示されていないので、合うのは表示された値どうしで、一人単位で一致するかまでは言えない

  48. 旧ソ連の行の地域の欄は「ウズベギスタンを除く」(原文の表記)としているが、数の範囲については、ウズベキスタンの行の統計・実績の欄の注記が、旧ソ連地域の統計・実績に含むと直接示しているので、812柱は旧ソ連の3万2,840柱の内数として扱い、ウズベキスタンの分を別に足さない

    定義・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [79] [15] [17] [18]

    計算
  49. 表7 年表(できごとの日付)

    見出し・言い切りの強さ: 言い切り ↩

    表の行

  50. 243件すべてが厚生労働省の「戦没者等援護関係資料」の下にある

    値・言い切りの強さ: 言い切り ↩

    根拠の事実 [104]

    計算
    • データの集計 compute/naj-search.mjs の naj_under_mhlw_senbotsu = 243件 (D16)
  51. 令和5年度の取組状況は、令和6年(2024年)3月末現在で移管済みの死亡者名簿の翻訳を18冊としており、検索で見つかった18件と数が一致するので、同じ簿冊を指していると読むのが自然だが、検索の1件が1冊にあたるかは目録の記述からは確かめられない

    比較・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [110] [108] [103]

    比べる数字の違い 定義・時点・期間が違う数字を比べている。本文の説明: 令和5年度の取組状況は、令和6年(2024年)3月末現在で移管済みの死亡者名簿の翻訳を18冊としており、検索で見つかった18件と数が一致するので、同じ簿冊を指していると読むのが自然だが、検索の1件が1冊にあたるかは目録の記述からは確かめられない

この記事が使った原典(23件)

この記事を引用するとき

国際情勢・歴史研究所(Institute for Global Affairs and History)「シベリア抑留の数字は何を数えているか ― 抑留57.5万人・死亡5.5万人を分けて読む」第6版、2026年10月29日更新。https://igah.institute/articles/siberian-internment-numbers/

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