史料の知識グラフ・組織
満蒙開拓青少年義勇軍(満洲開拓青年義勇隊)
史料に「こう書いてある」ことの記録で、事実としての正しさを主張するものではない。関係には、根拠の種類と、1つの史料だけの主張か裏づけがあるかを付けている。
| 時代 | 1938〜1945-08 |
|---|---|
| ほかの表記 | 満蒙開拓青少年義勇軍、満洲開拓青年義勇隊、青少年義勇軍、青年義勇隊、義勇軍、義勇隊 |
| 同定の根拠 | 辞書で同定 |
| 言及 | 167 件(7 件の資料) |
内地では「義勇軍」、満洲に渡ってからは「義勇隊」と呼ばれた。1937年11月30日に閣議決定があったとの国会での指摘がある(manmo-kaitaku の事実 F27)。
関係
| 関係 | 相手 | 期間 | 根拠 |
|---|---|---|---|
| 存続した時代 | {"from":"1938","to":"1945-08","period_confidence":"exact"} | 1938〜1945-08 | 辞書による参考情報・編纂物(出どころ 0) |
| 上位の組織(逆向き) | 内原訓練所 | 辞書による参考情報・編纂物(出どころ 0) |
言及している史料の箇所
- 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号 発言56(近藤安雄参考人)
「○近藤参考人 私は、元義勇隊の関係者でございまして、現在神奈川県の相模原」 - 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号 発言56(近藤安雄参考人)
「おりますが、隊の関係者の一人といたしまして、青年義勇隊のやって参りましたことと、それの性質を申し上」 - 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号 発言56(近藤安雄参考人)
「満州開拓青年義勇隊と申しますのは、内地では満蒙開拓青少年義勇軍」 - 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号 発言56(近藤安雄参考人)
「満州開拓青年義勇隊と申しますのは、内地では満蒙開拓青少年義勇軍と申しまして、樺太から沖縄まで全部の府県に割」 - 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号 発言56(近藤安雄参考人)
「ということでやったのでございますが、当初から義勇隊には片手に銃、片手にくわというような合言葉が」 - 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号 発言56(近藤安雄参考人)
「に勝つことができないというので動員されたのが義勇隊でございました。私は訓練本部の職を勤めており」 - 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号 発言56(近藤安雄参考人)
「ましたが、関東軍から呼び出しがございまして、義勇隊が現在何万いるかと聞かれました。当時渡満した」 - 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号 発言56(近藤安雄参考人)
「うことを申し上げました。終戦当時におりました義勇隊が大体三万人くらいでございますが、そのうち南」 - 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号 発言56(近藤安雄参考人)
「いやがったのでございますけれども、次から次に義勇隊が動員されました。もちろんこの訓練生は、日満」 - 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号 発言56(近藤安雄参考人)
「一般開拓団ももちろん国防の用をなすけれども、青少年義勇軍は足手まといがないということで、全満に小訓練」 - 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号 発言56(近藤安雄参考人)
「所が六十三カ所ばかりございましたが、いずれも義勇隊の訓練所は国境地帯に配置をされたわけでござい」 - 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号 発言56(近藤安雄参考人)
「受けましてかなりな犠牲者を出しました。全部の義勇隊が八万六千人くらいでございますが、そのうちで」
ほか 155 件。