史料の知識グラフ・組織
拓務省
史料に「こう書いてある」ことの記録で、事実としての正しさを主張するものではない。関係には、根拠の種類と、1つの史料だけの主張か裏づけがあるかを付けている。
| 時代 | 1929-06-10〜1942-11-01 |
|---|---|
| ほかの表記 | Ministry of Colonial Affairs |
| 同定の根拠 | 辞書で同定 |
| 言及 | 49 件(7 件の資料) |
1942年11月1日の大東亜省の設置で廃止された。満洲の開拓民に関する事務は大東亜省に移った(外地の事務の一部は内務省へ)。
関係
| 関係 | 相手 | 期間 | 根拠 |
|---|---|---|---|
| 上位の組織(逆向き) | 拓務省拓北局 | 辞書による参考情報・編纂物(出どころ 0) | |
| 改称・後継 | 大東亜省 | 〜1942-11-01 | 辞書による参考情報・編纂物(出どころ 0) |
| 存続した時代 | {"from":"1929-06-10","to":"1942-11-01","period_confidence":"exact"} | 1929-06-10〜1942-11-01 | 辞書による参考情報・編纂物(出どころ 0) |
| 上位の組織(逆向き) | 拓務省拓務局 | 辞書による参考情報・編纂物(出どころ 0) |
言及している史料の箇所
- 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号 発言4(吉崎千秋参考人)
「い傷をいたしましたので内地へ引き揚げまして、拓務省に奉職をしました。傷がなおりまして再び北満に」 - 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号 発言4(吉崎千秋参考人)
「これだけの政策を遂行するためには、拓務省が中心になってやったのでございますが、農林省」 - 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号 発言4(吉崎千秋参考人)
「これは日本の農林省がやった仕事でございます。拓務省はこれに呼応しましてこれは後に大東亜省になっ」 - 第80回国会 衆議院 社会労働委員会 第8号 発言9(川本敏美委員)・37(田口一男委員)
「この閣議決定を受けて当時の拓務省がいわゆる要綱をつくっておるわけです。これは」 - 第80回国会 衆議院 社会労働委員会 第8号 発言9(川本敏美委員)・37(田口一男委員)
「茨城郡下中妻村内原に青年移民訓練所を特設し、拓務省監督のもとに満州移住協会をして応募者に対して」 - 第80回国会 衆議院 社会労働委員会 第8号 発言9(川本敏美委員)・37(田口一男委員)
「心身を鍛練させる、輸送については、渡満費用は拓務省が負担をし、上陸港に至るまでの輸送宿泊等のあ」 - 第80回国会 衆議院 社会労働委員会 第8号 発言9(川本敏美委員)・37(田口一男委員)
「、そして募集は都道府県が行う、その経費は全部拓務省がこれを持つということで昭和十二年十一月三十」 - 第80回国会 衆議院 社会労働委員会 第8号 発言9(川本敏美委員)・37(田口一男委員)
「青年移民を送り出すという閣議決定に基づいて、拓務省が募集をして三万人以上送り出しておる。これが」 - 第120回国会 参議院 内閣委員会 第3号 発言244・247・248(竹中繁雄政府委員)・249(吉川春子委員)
「に対して、当時満蒙開拓団の全責任を負っていた拓務省の永井柳太郎国務大臣の答弁は、「只今ノ津崎君」 - 満洲開拓民概要(開拓資料 第2輯)(コマ5)
「民送出計畫の機運が熟したので昭和七年の初頭、拓務省は朝野專門家の協力を得て滿洲移民計畫大綱を起」 - 満洲開拓民概要(開拓資料 第2輯)(コマ6)
「農業開拓民として入植した。一方又昭和八年より拓務省の開拓民とは別に民間に於て開拓を目的とする團」 - 満洲開拓民概要(開拓資料 第2輯)(コマ6)
「又滿鐵に於ても鐵道自警村を實施するに至つた。拓務省の集團開拓民は昭和十年第四次までに約一千八百」
ほか 37 件。