日本近現代史 / 独自分析

厚生省・厚生労働省の援護担当局と「北朝鮮」――1956年(昭和31年)の在外事実調査票に残る「北鮮」と、抑留中死亡者の名簿等とされるロシア提供名簿根拠

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目次・この記事について

この記事について

脚注
17 件(すべて原典と照合)
分類
「厚生省・厚生労働省の援護担当局(引揚援護局・援護…」と「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」の関係 — 59件の史料(独立した出どころ 59)に共に現れる
国会
原典
4 件

要点

  • 厚生労働省のページで「北朝鮮」が出てくるのは、「病弱のため入ソ後、旧満州・北朝鮮に送られた者等」約4万7,000人という1行だけで、旧満州と分けた人数も、北朝鮮に送られた人だけの人数も書かれていない[1]根拠
  • この約4万7,000人は、同じページの抑留約57万5,000人から帰還約47万3,000人と死亡約5万5,000人を引いた残りと同じ値で、抑留者全体の約8%にあたるが、ページに算出の方法は書かれていないので、差し引きで出された数かどうかは確かめられない根拠
  • 1956年(昭和31年)の国立公文書館の目録には、厚生省引揚援護局未帰還調査部が作った「引揚者在外事実調査票」の簿冊が「北鮮清津府」「北鮮咸鏡南道」という地域ごとに3件あるが、3件とも公開区分は「要審査」で、目録に人数の記載は無く、中身の数は分からない[2][3][4]根拠
  • 簿冊の地域名として「北鮮」が記されているのは1956年(昭和31年)の引揚者在外事実調査票の目録だけで、1991年(平成3年)以降にロシア連邦政府等から提供された名簿について、ページはそれを抑留中死亡者の名簿等としているだけで、北朝鮮に関わる記録とは書いていない根拠
  • 死亡者名簿の地域別の区分に「北朝鮮」は無く、並ぶのは興南・大連・元山・樺太等・満州の5つで、それぞれがどの地域にあたるかはページに書かれていないので、「旧満州・北朝鮮」との対応は決められない[5]根拠

1. 厚労省のページで「北朝鮮」が出てくる場所

厚生労働省のページは、強制抑留の規模を4つの数字で示している[6][7][8][1]。

表1 厚労省ページ「抑留中死亡者について」の4つの数字(いずれも「約」の付いた概数で、カッコ内は原文が「うちモンゴル」として挙げた数)根拠

#原典の見出し(原文の表記)値うちモンゴル出典
(1)旧ソ連地域に抑留された者約57万5,000人約1万4,000人[6]
(2)現在までに帰還した者約47万3,000人約1万2,000人[7]
(3)死亡と認められる者約5万5,000人約2,000人[8]
(4)病弱のため入ソ後、旧満州・北朝鮮に送られた者等約4万7,000人記載なし[1]

「北朝鮮」が現れるのは(4)の行だけで、旧満州と並べ、さらに「等」を付けた区分になっている[1]。ページは、1945年(昭和20年)8月9日以来のソ連軍の侵攻により、旧日本軍人らが旧ソ連とモンゴル人民共和国(当時)の地域で強制抑留されたとしている[9]根拠。

【分析】(4)の約4万7,000人は、(1)の約57万5,000人から(2)の約47万3,000人と(3)の約5万5,000人を引いた残りと同じ値になるが、残りは「全体から帰還と死亡を除いた人」で、(4)は「旧満州・北朝鮮に送られた者等」という別の区分であり、ページに算出の方法は書かれていないので、(4)が差し引きで出された数かどうかは、この原典では確かめられない根拠。

【分析】(4)の約4万7,000人は(1)の約57万5,000人の約8%にあたるが、どちらも千人単位の概数なので、この割合も概数どうしの比で、丸める前の実数の割合とは言えない根拠。

【分析】このページには、旧満州と北朝鮮を分けた人数も、北朝鮮に送られた人だけの人数も書かれていない根拠。

2. いまの援護担当局が扱っているロシア提供名簿

ページに部署として示されているのは「社会・援護局援護・業務課調査資料室」で、資料に関する問い合わせ先も厚生労働省 社会・援護局 援護・業務課 調査資料室 調査係である[10][11]。この調査資料室は、1991年(平成3年)以降にロシア連邦政府等から提供された抑留中死亡者の名簿等と日本側の資料を照合し、死亡者の特定作業を行っているとしている[11]。最初の提供は、同じ年のゴルバチョフ・ソ連邦大統領の訪日の際の、約3万7千人分の死亡者名簿だった[12]。

「死亡者名簿(その他地域)」も、1991年以降に旧ソ連邦政府・ロシア連邦政府等から提供された名簿を翻訳したものと説明されている[13]。その下に地域別の名簿として並ぶのは、興南・大連・元山・樺太等・満州の5つである[5]。ページには、資料が作成された当時の呼称をそのまま掲載しているという注記もある[14]。

【分析】地域別の死亡者名簿に「北朝鮮」という区分は無く、5つの地域名がどこにあたるかもページに書かれていないので、表1の「旧満州・北朝鮮」と、これらの名簿の地域名との対応は、この原典からは決められない根拠。

3. 1956年の目録 ― 「北鮮」で分けられた在外事実調査票

国立公文書館デジタルアーカイブの目録には、引揚援護局が作った記録が別の形で残っている[2]。表2は、この記事で使った簿冊3件の目録である。

表2 「引揚者在外事実調査票」の簿冊3件(国立公文書館の目録。目録に人数・件数の記載は無い)根拠

件名(原文の表記)請求番号作成者年月日公開区分出典
引揚者在外事実調査票 北鮮清津府 大分・宮崎平23厚労01319100厚生省引揚援護局未帰還調査部昭和31年要審査[2][15]
引揚者在外事実調査票 北鮮清津府 鹿児島平23厚労01320100同昭和31年要審査[3][16]
引揚者在外事実調査票 北鮮咸鏡南道 北海道・岩手・宮城平23厚労01321100同昭和31年要審査[4][17]

3件はいずれも、階層が「行政文書 > 厚生労働省 > 戦没者等援護関係資料 > 引揚者在外事実調査票」、移管元が厚生労働省、保存場所が分館-07-059-00と記録されている[15][16][17]。

【分析】件名には地域名(北鮮清津府・北鮮咸鏡南道)と都道府県名(大分・宮崎、鹿児島、北海道・岩手・宮城)が並んでいるが、目録にはこの2つの関係の説明が無いので、都道府県名が調査票を集めた先か、引揚者が帰った先かは決められない根拠。

【分析】3件とも公開区分が「要審査」とされており、目録から読めるのは簿冊の存在と件名・請求番号・作成者・年までで、調査票が何人分あるかは分からない根拠。

【分析】目録の表記は「北鮮」、厚労省のページの表記は「北朝鮮」で、2つが同じ範囲を指すかは、どちらの原典にも書かれておらず、この2つの原典だけでは確かめられない根拠。

【分析】当時の呼称をそのまま掲載しているという注記は、厚労省が提供を受けた抑留者関係資料についてのもので、国立公文書館の目録の「北鮮」という表記にも当てはまるかは、この原典からは確かめられない根拠。

4. 2つの原典をつなぐときの限界

【分析】1991年以降にロシア連邦政府等から提供された名簿について、ページはそれを抑留中死亡者の名簿等としているだけで、北朝鮮に関わる記録とは書いておらず、簿冊の地域名として「北鮮」が記されているのは1956年に厚生省引揚援護局未帰還調査部が作った引揚者在外事実調査票の目録だけなので、この2つを「北朝鮮に関わる記録の2つの経路」としてまとめることは、これらの原典からは言えない根拠。

【分析】目録には階層と移管元が厚生労働省と記録され、厚労省のページも同省の局が書いたものなので、この記事の4つの原典は、厚労省の記録から離れた独立した裏付けとは言えない根拠。

【分析】北朝鮮に関わる人数は、表1の約4万7,000人が旧満州と「等」を含んだ値で、目録の3件は要審査で中身の数が読めないので、この4つの原典だけでは決められない根拠。


出典

  • 厚生労働省「ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)」 https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/index.html (2026-10-27取得)
  • 国立公文書館デジタルアーカイブ「引揚者在外事実調査票 北鮮清津府 大分・宮崎」(作成者: 厚生省引揚援護局未帰還調査部、昭和31年、請求番号 平23厚労01319100) https://www.digital.archives.go.jp/file/3909582 (2026-10-27取得)
  • 国立公文書館デジタルアーカイブ「引揚者在外事実調査票 北鮮清津府 鹿児島」(作成者・年同じ、請求番号 平23厚労01320100) https://www.digital.archives.go.jp/file/3909583 (2026-10-27取得)
  • 国立公文書館デジタルアーカイブ「引揚者在外事実調査票 北鮮咸鏡南道 北海道・岩手・宮城」(作成者・年同じ、請求番号 平23厚労01321100) https://www.digital.archives.go.jp/file/3909584 (2026-10-27取得)

※厚生労働省のコンテンツは公共データ利用規約(第1.0版)に基づき、当サイトが編集・加工して利用した。国立公文書館デジタルアーカイブの目録情報は CC0 に基づく。本文の引用は原典の表記のままで、現在の地名・組織名への読み替えは行っていない。

この記事の検証について

  • 引用の照合 脚注 17 件の引用文は、プログラムで原典の本文と照合しています。
  • 数字と結論の検査 単位・時点・数え方・推計と確定の区別・結論の言い過ぎなどを、公開の前に機械で検査しています。
  • 別のAIによる点検 執筆とは別のAIが、反対の読み方を探す役で点検し、必要な直しを反映しています。点検の後に本文が変わった記事は公開しません。
  • 権利の確認 原典ごとの利用条件を確かめています。

これらはAIとプログラムによる確認で、学術誌の査読(ピアレビュー)や、専門家による査読ではありません。検証の方法・AIを使用する範囲

脚注(原典・場所・原文の一部)

本文の[番号]は、下の原典の該当箇所に対応する。番号を押すと、その場で原典・ページ・原文の一部を確かめられる。引用文はプログラムで原典の本文と照合した。

  1. ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)(厚生労働省、「抑留中死亡者について」の節(4)): 「(4)病弱のため入ソ後、旧満州・北朝鮮に送られた者等 約 47,000人」 原典 照合済み ↩
    関連: 満洲(中国東北部)、厚生労働省
  2. 引揚者在外事実調査票 北鮮清津府 大分・宮崎(国立公文書館、目録の件名・請求番号・作成者・年月日の欄): 「件名: 引揚者在外事実調査票 北鮮清津府 大分・宮崎 請求番号: 平23厚労01319100 作成者: 厚生省引揚援護局未帰還調査部 年月日: 昭和31年 - 昭和31年」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生省、国立公文書館
  3. 引揚者在外事実調査票 北鮮清津府 鹿児島(国立公文書館、目録の件名・請求番号・作成者・年月日の欄): 「件名: 引揚者在外事実調査票 北鮮清津府 鹿児島 請求番号: 平23厚労01320100 作成者: 厚生省引揚援護局未帰還調査部 年月日: 昭和31年 - 昭和31年」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生省
  4. 引揚者在外事実調査票 北鮮咸鏡南道 北海道・岩手・宮城(国立公文書館、目録の件名・請求番号・作成者・年月日の欄): 「件名: 引揚者在外事実調査票 北鮮咸鏡南道 北海道・岩手・宮城 請求番号: 平23厚労01321100 作成者: 厚生省引揚援護局未帰還調査部 年月日: 昭和31年 - 昭和31年」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生省
  5. ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)(厚生労働省、「地域別死亡者名簿(その他地域)」の節): 「地域別死亡者名簿(その他地域) 興南死亡者名簿 Excel[67KB] PDF[132KB] 大連死亡者名簿 Excel[24KB] PDF[51KB] 元山死亡者名簿 Excel[17KB] PDF…」 原典 照合済み ↩
    関連: 満洲(中国東北部)、厚生労働省
  6. ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)(厚生労働省、「抑留中死亡者について」の節(1)): 「(1)旧ソ連地域に抑留された者 約 575,000人(うちモンゴル約 14,000人)」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、モンゴル、厚生労働省
  7. ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)(厚生労働省、「抑留中死亡者について」の節(2)): 「(2)現在までに帰還した者 約 473,000人(うちモンゴル約 12,000人)」 原典 照合済み ↩
    関連: モンゴル、厚生労働省
  8. ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)(厚生労働省、「抑留中死亡者について」の節(3)): 「(3)死亡と認められる者 約 55,000人(うちモンゴル約 2,000人)」 原典 照合済み ↩
    関連: モンゴル、厚生労働省
  9. ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)(厚生労働省、「抑留中死亡者について」の節の冒頭): 「昭和20年8月9日以来の旧ソ連軍の侵攻により、旧日本軍人等が旧ソ連またはモンゴル人民共和国(当時)の地域において、強制抑留されました。」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、ソ連軍、モンゴル人民共和国、厚生労働省
  10. ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)(厚生労働省、「お問い合わせ先(資料に関すること)」): 「厚生労働省 社会・援護局 援護・業務課 調査資料室 調査係」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  11. ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)(厚生労働省、ページ冒頭の説明(4項目の後)): 「社会・援護局援護・業務課調査資料室では、平成3年以降にロシア連邦政府等から提供された抑留中死亡者の名簿等の資料と日本側の資料を照合し、抑留中死亡者の特定作業を行っています。」 原典 照合済み ↩
    関連: ロシア、厚生労働省
  12. ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)(厚生労働省、「1.平成3年以降に…各種名簿について」の節): 「日本側へ約3万7千人分の旧ソ連邦抑留中死亡者の名簿が提供された」 原典 照合済み ↩
    関連: シベリア抑留、ソビエト連邦(ソ連)、厚生労働省
  13. ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)(厚生労働省、「死亡者名簿(その他地域)」の節): 「死亡者名簿(その他地域) 平成3年以降に旧ソ連邦政府、ロシア連邦政府等から提供された名簿等をロシア語等から翻訳し」 原典 照合済み ↩
    関連: ソビエト連邦(ソ連)、ロシア、厚生労働省
  14. ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)(厚生労働省、「抑留死亡者埋葬地別名簿索引」の後の注記): 「※これら資料等は抑留者に関するものであり、資料が作成された当時の呼称をそのまま掲載しております。」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  15. 引揚者在外事実調査票 北鮮清津府 大分・宮崎(国立公文書館、目録の階層・移管元・保存場所・公開区分の欄): 「階層: 行政文書 > 厚生労働省 > 戦没者等援護関係資料 > 引揚者在外事実調査票 移管元: 厚生労働省 保存場所: 分館-07-059-00 公開区分: 要審査」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  16. 引揚者在外事実調査票 北鮮清津府 鹿児島(国立公文書館、目録の階層・移管元・保存場所・公開区分の欄): 「階層: 行政文書 > 厚生労働省 > 戦没者等援護関係資料 > 引揚者在外事実調査票 移管元: 厚生労働省 保存場所: 分館-07-059-00 公開区分: 要審査」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省
  17. 引揚者在外事実調査票 北鮮咸鏡南道 北海道・岩手・宮城(国立公文書館、目録の階層・移管元・保存場所・公開区分の欄): 「階層: 行政文書 > 厚生労働省 > 戦没者等援護関係資料 > 引揚者在外事実調査票 移管元: 厚生労働省 保存場所: 分館-07-059-00 公開区分: 要審査」 原典 照合済み ↩
    関連: 厚生労働省

主張と計算の根拠(20件)

本文の「根拠」の印から、ここに移る。主張ごとに、材料の事実(番号は上の脚注)と、計算の式を載せた。式は公開前の検査で再計算し、データの集計はスクリプトを再実行して、記事の値と一致することを確かめた。

  1. 厚生省・厚生労働省の援護担当局と「北朝鮮」――1956年(昭和31年)の在外事実調査票に残る「北鮮」と、抑留中死亡者の名簿等とされるロシア提供名簿

    見出し・言い切りの強さ: 言い切り ↩

    本文側の主張 根拠11 根拠12 根拠18

  2. 厚生労働省のページで「北朝鮮」が出てくるのは、「病弱のため入ソ後、旧満州・北朝鮮に送られた者等」約4万7,000人という1行だけで、旧満州と分けた人数も、北朝鮮に送られた人だけの人数も書かれていない

    不在・言い切りの強さ: 言い切り ↩

    根拠の事実 [1]

    本文側の主張 根拠11

  3. この約4万7,000人は、同じページの抑留約57万5,000人から帰還約47万3,000人と死亡約5万5,000人を引いた残りと同じ値で、抑留者全体の約8%にあたるが、ページに算出の方法は書かれていないので、差し引きで出された数かどうかは確かめられない

    値・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [6] [7] [8] [1]

    計算
    • [6] - [7] - [8] = 47,000人 (D1)
      575,000−473,000−55,000=47,000。ページに並ぶ概数から出した残りで、ページ自身は(4)の算出方法を書いていない。
    • [1] / [6] * 100 = 8.17% (D2)
      47,000÷575,000×100=8.1739…。どちらも千人単位の概数なので、丸める前の実数の割合ではない。

    本文側の主張 根拠9 根拠10

  4. 1956年(昭和31年)の国立公文書館の目録には、厚生省引揚援護局未帰還調査部が作った「引揚者在外事実調査票」の簿冊が「北鮮清津府」「北鮮咸鏡南道」という地域ごとに3件あるが、3件とも公開区分は「要審査」で、目録に人数の記載は無く、中身の数は分からない

    値・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [2] [3] [4] [15] [16] [17]

    本文側の主張 根拠13 根拠15

  5. 簿冊の地域名として「北鮮」が記されているのは1956年(昭和31年)の引揚者在外事実調査票の目録だけで、1991年(平成3年)以降にロシア連邦政府等から提供された名簿について、ページはそれを抑留中死亡者の名簿等としているだけで、北朝鮮に関わる記録とは書いていない

    不在・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [11] [13] [2]

    本文側の主張 根拠18

  6. 死亡者名簿の地域別の区分に「北朝鮮」は無く、並ぶのは興南・大連・元山・樺太等・満州の5つで、それぞれがどの地域にあたるかはページに書かれていないので、「旧満州・北朝鮮」との対応は決められない

    不在・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [5]

    本文側の主張 根拠12

  7. 表1 厚労省ページ「抑留中死亡者について」の4つの数字(いずれも「約」の付いた概数で、カッコ内は原文が「うちモンゴル」として挙げた数)

    見出し・言い切りの強さ: 言い切り ↩

    根拠の事実 [6] [7] [8] [1]

    表の行 [6] [7] [8] [1]

  8. ページは、1945年(昭和20年)8月9日以来のソ連軍の侵攻により、旧日本軍人らが旧ソ連とモンゴル人民共和国(当時)の地域で強制抑留されたとしている

    因果・言い切りの強さ: 言い切り ↩

    根拠の事実 [9]

  9. (4)の約4万7,000人は、(1)の約57万5,000人から(2)の約47万3,000人と(3)の約5万5,000人を引いた残りと同じ値になるが、残りは「全体から帰還と死亡を除いた人」で、(4)は「旧満州・北朝鮮に送られた者等」という別の区分であり、ページに算出の方法は書かれていないので、(4)が差し引きで出された数かどうかは、この原典では確かめられない

    比較・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [6] [7] [8] [1]

    計算
    • [6] - [7] - [8] = 47,000人 (D1)
      575,000−473,000−55,000=47,000。ページに並ぶ概数から出した残りで、ページ自身は(4)の算出方法を書いていない。

    比べる数字の違い 対象の範囲が違う数字を比べている。本文の説明: 残りは「全体から帰還と死亡を除いた人」で、(4)は「旧満州・北朝鮮に送られた者等」という別の区分であり

  10. (4)の約4万7,000人は(1)の約57万5,000人の約8%にあたるが、どちらも千人単位の概数なので、この割合も概数どうしの比で、丸める前の実数の割合とは言えない

    割合・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [1] [6]

    計算
    • [1] / [6] * 100 = 8.17% (D2)
      47,000÷575,000×100=8.1739…。どちらも千人単位の概数なので、丸める前の実数の割合ではない。
  11. このページには、旧満州と北朝鮮を分けた人数も、北朝鮮に送られた人だけの人数も書かれていない

    不在・言い切りの強さ: 言い切り ↩

    根拠の事実 [1]

  12. 地域別の死亡者名簿に「北朝鮮」という区分は無く、5つの地域名がどこにあたるかもページに書かれていないので、表1の「旧満州・北朝鮮」と、これらの名簿の地域名との対応は、この原典からは決められない

    不在・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [5] [13] [1]

  13. 表2 「引揚者在外事実調査票」の簿冊3件(国立公文書館の目録。目録に人数・件数の記載は無い)

    見出し・言い切りの強さ: 言い切り ↩

    根拠の事実 [2] [3] [4] [15] [16] [17]

  14. 件名には地域名(北鮮清津府・北鮮咸鏡南道)と都道府県名(大分・宮崎、鹿児島、北海道・岩手・宮城)が並んでいるが、目録にはこの2つの関係の説明が無いので、都道府県名が調査票を集めた先か、引揚者が帰った先かは決められない

    値・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [2] [3] [4]

  15. 3件とも公開区分が「要審査」とされており、目録から読めるのは簿冊の存在と件名・請求番号・作成者・年までで、調査票が何人分あるかは分からない

    値・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [2] [3] [4] [15] [16] [17]

  16. 目録の表記は「北鮮」、厚労省のページの表記は「北朝鮮」で、2つが同じ範囲を指すかは、どちらの原典にも書かれておらず、この2つの原典だけでは確かめられない

    定義・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [2] [1]

  17. 当時の呼称をそのまま掲載しているという注記は、厚労省が提供を受けた抑留者関係資料についてのもので、国立公文書館の目録の「北鮮」という表記にも当てはまるかは、この原典からは確かめられない

    定義・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [14] [2]

  18. 1991年以降にロシア連邦政府等から提供された名簿について、ページはそれを抑留中死亡者の名簿等としているだけで、北朝鮮に関わる記録とは書いておらず、簿冊の地域名として「北鮮」が記されているのは1956年に厚生省引揚援護局未帰還調査部が作った引揚者在外事実調査票の目録だけなので、この2つを「北朝鮮に関わる記録の2つの経路」としてまとめることは、これらの原典からは言えない

    不在・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [11] [5] [13] [2] [3] [4]

  19. 目録には階層と移管元が厚生労働省と記録され、厚労省のページも同省の局が書いたものなので、この記事の4つの原典は、厚労省の記録から離れた独立した裏付けとは言えない

    定義・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [10] [15] [16] [17]

  20. 北朝鮮に関わる人数は、表1の約4万7,000人が旧満州と「等」を含んだ値で、目録の3件は要審査で中身の数が読めないので、この4つの原典だけでは決められない

    不在・言い切りの強さ: 含みを持たせる ↩

    根拠の事実 [1] [15] [16] [17]

この記事が使った原典(4件)

この記事を引用するとき

国際情勢・歴史研究所(Institute for Global Affairs and History)「厚生省・厚生労働省の援護担当局と「北朝鮮」――1956年(昭和31年)の在外事実調査票に残る「北鮮」と、抑留中死亡者の名簿等とされるロシア提供名簿」第1版、2026年10月29日更新。https://igah.institute/articles/welfare-ministry-mhlw-north-korea-1956-internment-russia/

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