史料の知識グラフ・地名
千振郷(第二次開拓団の入植地)
史料に「こう書いてある」ことの記録で、事実としての正しさを主張するものではない。関係には、根拠の種類と、1つの史料だけの主張か裏づけがあるかを付けている。
| 時代 | 1933〜(日付は目安) |
|---|---|
| ほかの表記 | 千振郷、千振開拓団、千振 |
| 現行の対応 | 依蘭県付近(佳木斯市) |
| 同定の根拠 | 辞書で同定 |
| 言及 | 12 件(4 件の資料) |
第二次武装移民団(1933年入植)の入植地。位置の対応は概略。
関係
| 関係 | 相手 | 期間 | 根拠 |
|---|---|---|---|
| 事件の場所(逆向き) | 満蒙開拓(満洲への農業移民) | 独立した複数の出どころ・同時代の一次史料(出どころ 3) | |
| 存続した時代 | {"from":"1933","to":null,"period_confidence":"approx"} | 1933 | 辞書による参考情報・編纂物(出どころ 0) |
| 上位の組織 | 三江省(満洲国) | 辞書による参考情報・編纂物(出どころ 0) |
言及している史料の箇所
- 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号 発言4(吉崎千秋参考人)
「て再び北満に出ました。そのときには、第二回の千振の団長として佳木斯の奥に入植をいたしておりま」 - 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号 発言4(吉崎千秋参考人)
「も二十六里ばかり歩いて入るのでございますが、千振というところに入ったわけであります。この二つ」 - 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号 発言4(吉崎千秋参考人)
「しても、食糧の供出をしなければならない。私の千振という第二次の開拓団あたりは、私が団長をやっ」 - 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号 発言4(吉崎千秋参考人)
「すとか、そういう市民を七千名私は引き受けて、千振に保護しておったわけでございます。その中心に」 - 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号 発言4(吉崎千秋参考人)
「常に安く原住民から買い上げた。私が入りました千振というところは、既耕地がだいぶございました。」 - 満洲開拓民概要(開拓資料 第2輯)(コマ15)
「。旣に第一次開拓團の彌榮神社、第二次開拓團の千振神社、第三次開拓國の瑞穗神社等の先進開拓團の」 - 満洲開拓民概要(開拓資料 第2輯)(コマ15)
「加せられることになつてゐる。一開拓團又三江省千振街に千振開拓農學校が開設さ- 23」 - 満洲開拓民概要(開拓資料 第2輯)(コマ15)
「ることになつてゐる。一開拓團又三江省千振街に千振開拓農學校が開設さ- 23」 - 満洲農業移民の現況(コマ7)
「業移民不可能なりとの悲觀說を墨守する者もあつ千振神社で是非の論喧しく全く混沌たるものがあつた」 - 満洲農業移民の現況(コマ11)
「各團配屬の農事、畜產、警備指導員が之を補而し千振本願寺」 - 満洲農業移民の現況(コマ12)
「居る、第一次の神社を彌榮神社、第二次の神社を千振神社と稱して居る。寺院も第一次には旣に建立せ」 - 満洲開拓農民の概況(満洲開拓叢書 第2輯)(コマ16)
「核心をなしてゐる。第一次の彌榮神社、第二次の千振神社、第三次の瑞穗神社等がそれである。寺院も」