史料の知識グラフ・地名
ソビエト連邦(ソ連)
史料に「こう書いてある」ことの記録で、事実としての正しさを主張するものではない。関係には、根拠の種類と、1つの史料だけの主張か裏づけがあるかを付けている。
| 時代 | 1922-12-30〜1991-12-26 |
|---|---|
| ほかの表記 | ソ連、旧ソ連、ソ連邦、旧ソ連邦、ソビエト連邦、ソヴィエト連邦、ソビエト社会主義共和国連邦、ソヴィエト社会主義共和国連邦、Soviet Union、USSR、Soviet |
| 現行の対応 | ロシア連邦ほか旧構成共和国 |
| 同定の根拠 | 辞書で同定 |
| 言及 | 429 件(52 件の資料) |
1991年12月26日に解体した。ロシア連邦が継承国となった(国連の議席などを引き継いだ)。ほかの構成共和国も独立した。
関係
| 関係 | 相手 | 期間 | 根拠 |
|---|---|---|---|
| 事件の場所(逆向き) | シベリア抑留 | 辞書による参考情報・編纂物(出どころ 0) | |
| 改称・後継 | ロシア | 〜1991-12-26 | 辞書による参考情報・編纂物(出どころ 0) |
| 事件の場所(逆向き) | 朝鮮戦争 | 1つの史料の主張・同時代の一次史料(出どころ 1) | |
| 存続した時代 | {"from":"1922-12-30","to":"1991-12-26","period_confidence":"exact"} | 1922-12-30〜1991-12-26 | 辞書による参考情報・編纂物(出どころ 0) |
| 事件の場所(逆向き) | 満蒙開拓(満洲への農業移民) | 1つの史料の主張・同時代の一次史料(出どころ 1) | |
| 事件の場所(逆向き) | シベリア抑留 | 独立した複数の出どころ・同時代の一次史料(出どころ 13) | |
| 駐屯地(逆向き) | 関東軍 | 1つの史料の主張・同時代の一次史料(出どころ 1) | |
| 事件の場所(逆向き) | 終戦(玉音放送) | 独立した複数の出どころ・同時代の一次史料(出どころ 5) | |
| 事件の場所(逆向き) | 引揚げ(海外からの日本人の帰国) | 独立した複数の出どころ・同時代の一次史料(出どころ 5) | |
| 事件の場所(逆向き) | 湾岸戦争 | 1つの史料の主張・同時代の一次史料(出どころ 1) | |
| 事件の場所(逆向き) | ノモンハン事件 | 1つの史料の主張・編纂物(出どころ 1) | |
| 事件の場所(逆向き) | 日ソ共同宣言 | 独立した複数の出どころ・後年の証言(出どころ 2) | |
| 事件の場所(逆向き) | ポツダム宣言 | 1つの史料の主張・同時代の一次史料(出どころ 1) | |
| 事件の場所(逆向き) | 第二次世界大戦 | 独立した複数の出どころ・同時代の一次史料(出どころ 2) | |
| 駐屯地(逆向き) | ソ連軍 | 1つの史料の主張・同時代の一次史料(出どころ 1) | |
| 所属(逆向き) | スターリン | 1924〜1953-03-05 | 辞書による参考情報・編纂物(出どころ 0) |
言及している史料の箇所
- 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号 発言56(近藤安雄参考人)
「りましたときに、幸いにいたしまして、義勇隊がソ連と交戦し原住民と戦いまして都会地に避難の途中」 - 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号 発言4(吉崎千秋参考人)
「ましたが、北満に日本の開拓者の人がきを作ってソ連を防衛するのだ、こういことを公言いたしている」 - 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号 発言4(吉崎千秋参考人)
「通り、昭和二十年の八月九日に、思いがけなくもソ連機の攻撃を受けました。特に私たちは北満におり」 - 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号 発言4(吉崎千秋参考人)
「撃を受けたわけでございました。それに続いて、ソ連の戦車がやって参りました。ただいままで申しま」 - 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号 発言4(吉崎千秋参考人)
「男という男は大部分召集を食らいまして、私も、ソ連が攻めてきて――八月の九日に攻めてきたのに、」 - 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号 発言4(吉崎千秋参考人)
「日、終戦の二日前に召集して、家族たちを北満のソ連の戦車の前にさらさなければならなかった。こう」 - 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号 発言4(吉崎千秋参考人)
「起きたわけであります。母親が子供の手を引いてソ連の戦車に立ち向いました。もちろん全滅になった」 - 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号 発言4(吉崎千秋参考人)
「ういう防衛拠点にみな入っておりました関係で、ソ連の進攻経路をあとからたどってみますと、その開」 - 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号 発言4(吉崎千秋参考人)
「ちの八百八十名ぐらいの者が、全員ここでもってソ連の戦車にやられましたし、暴民にやられましたし」 - 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号 発言4(吉崎千秋参考人)
「ころも、私は気がつかなかったのでありますが、ソ連が進攻してくる八月九日から一週間ぐらい前に、」 - 政策レポート 中国残留邦人等に対する「新たな支援策」について
「したが、様々な事情が障害となって樺太に残留(ソ連本土に移送された者を含む。)を余儀なくされた」 - 中国残留邦人等の状況(公表資料等)
「うち旧ソ連本土 24人 ( 〃 56人)」
ほか 417 件。